てつこてつ

サテリコンのてつこてつのレビュー・感想・評価

サテリコン(1969年製作の映画)
5.0
これは個人的に文句なしの満点。フェリーニは学生時代にレンタルしまくって結構見た筈なのに、何故にこれを見落としていたのか・・逆を言えば、若い頃に見たら別の評価になりかねない作品。いやあ、衝撃的なまでに素敵な映像体験だった。

全編通して、“美”という存在の表現に対する拘りが強く感じられ、フェデリコ・フェリーニという監督が、真の芸術家なんだなあと再認識させられる。

古代ローマを時代背景に、冒頭の公衆浴場から岩窟で出来た宿、詩人が開催するケバケバしくも鮮やかな色合いに満ち満ちた饗宴、実物大に作り上げた波がうねる海岸に浮かぶ海賊船と奴隷船、“両性具有の神”の豪華な神殿、ギリシャ神話に登場するミノタウロスを彷彿させる仮面を被った謎の剣闘士に追われる主人公の青年が彷徨う迷路とその二人を逆光が照らし出す大きな岩山の頂上から見物する観衆たち、火の魔女が棲む洞窟などなど、次から次へと壮大なセットやロケーションが登場し、斬首された皇帝の生首が海に浮かぶシーンさえも美しく、まさにどのシーンを切り取っても画になるという、とてもピカレスクでその芸術性の高さに完全にやられた。エキストラ一人一人の衣装、ヘアメイクも凝りに凝っている。

メインストーリーに挿入される短い逸話(エピソードではない!)の再現シーンだけのために実寸大で10メートルはあるかと思われる石造りの塔を作ったり、本物の象を登場させながらも、アップシーンなどはなく、画面の片隅に小さく配置するだけとか贅沢過ぎる。フェリーニは、本作では自身がやりたい事を全てやり尽くせたのではないかと感じさせる。

このジャケ写にフェリーニの意向がどこまで反映されているのかは不明だが、ここに主人公の青年を登場させていないという裏切りもいい。

主人公は男色をも好む美青年。享楽的な他のフェリーニ作品にも共通する事だが、決してあからさまな性行為などは描かれずとも、男性同士の性行為を明らかに暗示するシーンが登場する。と、同時にエキストラ陣に半裸の筋骨逞しい奴隷や兵士など、女性キャラより男性キャラが多数登場するのは、彼の作品にしては珍しい。前述した“両性具有の神”のキャラクターは本物か否かは不明だが、まさに二つの性器が描写されるし、何とアルビノ設定。四肢欠損の障害を持つ実際の俳優が演じたと思われるキャラクターまで堂々と描かれる。

これらを理由に本作をフェリーニの最大の問題作、タブーに触れたなどと安易に評するのは、個人的には大間違いだと思う。本作でも小人のキャラや、クライマックスで登場する、ふくよかな身体を持った大柄の女性キャラが他の作品でも象徴的に度々登場するように、人間の美醜の判断の根拠や、愛の形なんてどんなスタイルでも祝福されるべきだとのメッセージ・・というより、あるがままをそのまま受け入れて人生を享受するのが結局、幸福なんだよなあと、個人的には解釈した。

観衆を前に女性との性行為に及びインポテンスに陥った青年が、治癒の為に複数の女性陣に曝け出した臀部にムチ打ちを受けるシーンとか、ほのかなエロシティズムを暗喩しながらコミカルなテイストに溢れていて実にフェリーニらしい。

また、主人公の青年の台詞のみがシェイクスピアばりの古典劇の調子、それでいて賢者のポエムのような深みのある内容である点なども、実に凝っている。

とにかく最初から最後まで目が離せない圧倒的な美しさと愛に溢れた作品でとても幸せな時間を過ごせた。但し、このFilmarksで、“似た作品”として「ソドムの市」が出てくるのは、見たことないけど、いかがなものか?

と、毎度のごとく、ここまでダラダラと長文を書いてきて最後まで読んでいただける方は殆どいないと勝手に解釈して最後にプチ自慢。

実は、会社員時代・・まだ新人の頃に、フェリーニ監督とご婦人のジュリエッタ・マシーナにお会いした事がある。ある芸術賞に監督が受賞され、来日した際、授賞式前夜のパーティーで、自身は別のイギリスの芸術家の通訳とアテンドを担当していたのだが、どうしてもこのお二人にはお会いしたくて、担当していたイギリス人が中座した際にさりげなく、フェリーニ夫妻を囲むグループに加わった。イタリア語の通訳さんを介しての談話に参加させていただいだだけで、自分が直接話が出来た訳ではないが、とにかく明るくユーモア溢れる面白い話をされる饒舌な方で、人生で忘れがたい至福の体験になったことは間違いない。
てつこてつ

てつこてつ