レオピン

にあんちゃんのレオピンのレビュー・感想・評価

にあんちゃん(1959年製作の映画)
4.1
唐津への遠足の際、妹の末子が住み込みで働く姉良子に会いにいく。結局会えずにあきらめ、バスに乗り動き出した瞬間に走り込んでくる良子。窓越しにただ見つめ合う幼い瞳。

携帯もネットもない時代。出会いは一期一会 一瞬一瞬 人と人との関係ははかなくも濃密なものだった。姉妹が見つめ合うだけでジンときてしまう。

この映画できょうだい達は何度も何度も別れと再会を繰り返す。その連続といっていい。4人で一緒に暮らすことだけを夢見ていた小学4年生の女の子。

さびれゆく炭鉱の町で両親を早くに亡くした子供たち。長男の喜一(20歳)、長女の良子(16歳)、高一(12歳)、末子(10歳)

この末娘の安本末子の書いた日記をあんちゃんが強引に光文社へ送りつけて書籍化。ベストセラーののち映画化とこの起死回生のストーリー。あんちゃんナイス、とかいうと一山当てたYouTuberのようだが、実際は戦前から続く綴り方運動の流れの中にある重要な作品。

彼らの赤貧洗うがごとしな暮らしぶり。主食は芋、たまに米が食えることが幸せ。引っ越しは一瞬のうちに決まり、荷造りはあっという間。ヤドカリ引越センターより速かった。

殿山泰司のおっさん
穂積隆信の小学校の先生
吉行和子の保健婦
こういった周囲の人たちが陰で見るともなしに暖かく支えてくれる。

体育館で町内の人みんなで炭坑節を歌う場面やお祭りの風景に、どこかマレーシアのヤスミン監督の作品にも近い味わいを感じる。

今平監督の映画ってことを忘れてしまうが、児童映画の傑作扱いされてさぞお尻がむずがゆかったんだろう。在日差別の問題も薄く匂わすだけ。ただ良子の松尾嘉代が橋の上でバスを見送った瞬間、さっと振り返り自分の人生に思いをめぐらす。あそこに今平らしさを感じた。


組合から排除されまっ先にクビになった長男。非正規を切り捨てる正規、ヤングケアラーや長期失業、見えない貧困に格差。今にも通じる問題が横たわっていた。

こうしてみると、手を取り合って生きていく仲睦まじいきょうだい愛などという紹介は大嘘だ。彼らは超絶不安定な環境であっという間にバラバラになり皆住み込みで働かざるをえない。そんな中で互いを遠くから思いやる。口減らしとか金の卵という言葉が当たり前に使われていたことの意味を改めて思う。

なんかカイジの橋渡りのシーンを思い出す。みんな必死で孤独と向き合って戦っていた。落ちるなよ 頑張れよと祈りながら。どん底の中走るか泳ぐかしかなかった喜一も、何の根拠もなく だいじょうぶだ 死にゃせん と上京する高一も彼らの背中が後ろの者の希望だった。

東京ばたいしたことなかねといっちょ前の口をきく高一と末子が二人手をつないで元気にボタ山を登っていく。二人は親世代だ。

小学校の教室の額縁に「ピチピチした子供」という標語があった。吉田戦車っぽいなと思い噴き出した。ふと、彼らは一番いい時代を生きたのではという思いもよぎったが、不安定な時代や社会というのは昔も今もあいかわらずだ。最後はとてもピチピチした希望に満ちた宣言で終るのでした。

⇒撮影:姫田真佐久
⇒音楽:黛敏郎

⇒公開時 北林谷栄は48歳、大滝秀治は34歳 驚異!
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