けんたろう

まわり道のけんたろうのレビュー・感想・評価

まわり道(1974年製作の映画)
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抑〻、お母ちやんの頭が狂つてるおはなし。


不穏。とにかく不穏。音楽も表情も、迚もロオドムウビイだとは思はれぬ其れ。果ては血である。若しや、旅人の感ずる自由が故の孤独、不安を表現してゐるのだらうか。
劇中の或る人に拠れば、孤独には安からさと共に寂しさを覚ゆるパラドクスが有るらしい。成るほど首が捥げ落ちるほど首肯する。孤独には、否が応でも他人と接せなければならぬ此の現実からの逃避を叶ふる面が有る一方で、果たして私しは此の世界に存在してゐないのではないかといふ不安を呼び覚ます面も有る。矢張り此の映画、自由即ち孤独を表現してゐるのかもしれない。
因みに “彼れ” 曰はく、孤独は演じてゐると意識して初めて覚えるものらしい。云はれてみれば、確かに自己陶酔なき身に感ぜらるゝものとは迚も思へない。何んだか、少し恥ずかしき気分に成る。

と、此処まで、丸で鬱屈としてゐて気の沈む映画みたことを書いてきてしまつたが、別に然ういふわけではない。寧ろ不穏であるが故のユウモアが有る。
肝心を話さぬ音楽家、抑〻何も話さぬ大道芸人、特段何か有るわけでもない普通の女優、特段何か有るわけでもないのに滑稽な詩人、然うして独りに酔ひ痴るゝ寂しき鰥夫。静寂の画と精神の独白とが有る為めに、即ち不穏である為めに、彼れらの眠たい、疲れた、分からない、忘れた、太つちよ、抱きたい又たは抱かれたい等、肉体に依る断絶が可笑しく感ぜられるのだ。無口が故のいぢらしさ、可笑しさも同様。兎角、いやに静かであるが為めにユウモラスなのである。

「まわり道」といふ題も亦た好い。成るほど確かに主人公に取っては大きな回り道である。然し、只の回り道ではない。周囲へ大きな影響を与ふる回り道である。特にナスタアシヤ・キンスキイへは、役だけに留まらず現実にも波及してゐるのだから面白い。何んだか、復た『パリ、テキサス』が観たくなってきた。

兎にも角にも、非常に面白い作品であった。さてベンダアス、次は何を観ようかしらん。