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まわり道のRのレビュー・感想・評価

まわり道(1974年製作の映画)
4.2
最近ちょー久々にちょろちょろ見直してるヴェンダース映画。昔は大好きで何度も繰り返し見た本作であるが、久々に見ると昔ほど響かなかったなー笑 面白くなくなはないけど。ほんま単純に、何人かの社会のはぐれ者たち(作家志望の青年と爺さん歌手と大道芸人の少女と女優と自称詩人と資本家)がふらふらと集まってきて、ちょっと間一緒にグダグダ喋ってダラダラ過ごして、またふわふわと別れていくってだけの話で、ユーモラスなわけでもなく、シリアスなわけでもなく、何と表現したらよいのでしょう、虚しいというか、ドライというか、何とも言い難い作品。ほとんど彼らの会話が中心なんやけど、次々と話題を変えながら流れていくので、頭に内容を残していくのが難しい。よって多くの人は眠くなることでしょう。とはいえ、いくつかの内容は薄っすら心に残るし、全体的な印象としては漠然とした無為と不安と空虚と焦燥が残る。ほんのひと時を一緒に過ごしたあの人たちの、あるようでないような、微妙なつながりの感覚は何だったのだろう、みたいな。で、結局いろいろ動き回ったけどその動きは間違ってて、いつも間違った動きをしてしまう……挫折、と、ちょっとかったるい映画でありながら、まぁでもこういうどんより晴れない心象風景って、意外と多くの人に共有さてるのかもしれん、とも思える。ライフって多くの人にとってはわけわからんカオスやもんね。また、あえて随所で政治的な意味を読み取ることもできるかもしれない。主人公ヴィルヘルムが出会う老人歌手は元ナチス党員で、彼について行動している芸人の女の子は、一言も口をきかない。これはドイツのダークな歴史と新しい世代との関係を表していると言えなくもない。その間の世代であるヴィルヘルムが最後に出る行動は、次世代の過去からの解放であるとも取れる。し、取れない気もする。あと、面白いのが、資本家の語る孤独のパラドックス。孤独とは自分が外から見られた想像で作られるものだ、自分がさぞ孤独に見えるだろうと思ったとたん、人は孤独に襲われる、つまり孤独とは演劇的な状態で、けどその状態にいるとき、自分は生まれ変わって大事に守られているような安心感を感じる、みたいなことを言ってて、は? どゆこと? 意味わからね、ってなった笑 孤独な人にはこの感覚、分かるものなんでしょうか? 主人公のヴィルヘルムに関しても、頭がイイからキザなのか、単純に頭悪いだけなのかよく分からんし、女優は言うたらよくおるアート志向の女ですわ。けど演じてるのがハンナシグラなので、顔の造形がすごく印象的。こんな顔した人類そうおらん。すごい見応えです。ちなみに大変プリプリしたヌードを見せるナターシャキンスキーは当時14歳だそうで、なるほど、だからこんなにプリプリしてるのか、と後で納得。あんなおもろい顔したおっさんにヌードで抱かれて大変だったね。まぁ、うん、そうですねー、おそらく、この人たちのエモーションに同期できるような虚無感を持っている人には響くのかもしれませんが、そうでない人たちは、もう少しだけでも実質的な内容がほしいもんだなぁと思うのではないでしょうか。これはこれで楽しめないわけじゃないけど。てか、昔この映画を何度も見てたぼくは、そういう虚無感を持ってたってことなのだろうか。日々喜びで満ちている今のボクには、もはや当時の心の状態がよく思い出せない。とはいえ、たとえ日々ハッピーな人であっても、ピアノを叩きつけるような音楽や、ギターの冷たい侘しさ、荒涼とした風景、散歩の長回しなどなど、忘れがたい印象を残すものはたくさんありますので、見て損はないと思われます。
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