紫のみなと

孤高のメスの紫のみなとのレビュー・感想・評価

孤高のメス(2010年製作の映画)
4.1
冒頭、物語の語り部である看護師の夏川結衣が、心臓疾患の急変により、自らの勤務する病院でたらい回しにされた挙句、死亡してしまうということが、息子役の成宮寛貴のセリフによって鑑賞者に知らされます。

映画としてはよくある導入ですが、この事実を念頭にして映画を見続けた私は、終始
夏川結衣が哀れでならなかった。

シングルマザーとして一人息子を育てながら、ろくでもない医師のもとオペ看として働いていた夏川結衣は仕事への意欲も遣り甲斐も失っていた。
そこへ、素晴らしい手技と倫理観を持った医師=堤真一が現われる。

最近の、ジャニーズやイケメンが患者の命を救う日本映画やドラマが大嫌いでほぼ見た事はないですが、医療モノに限らず、話をひろげるとここ数年の大河ドラマなんかでも、戦国武将が「戦さのない世の中に!」なんてことを理由に戦う、そんな、現代の制作者のよくわからない意図の感じももうおばさんには理解できないのですが。

話が逸れましたが、本作は非常に丁寧で、奇をてらわず、お涙頂戴にならず、子役にわざとらしい演技もつけず、医療を描く事を忠実に、真面目に作成された映画だと思いました。

夏川結衣が、尊敬できる医師に出会い、自分の仕事への自尊心を取り戻していく姿、子供を寝かしつけた後、オペの勉強をするシーンなどですでに涙が出てしまう。

仕事とは本来、こんなふうに向き合うものだと思います。
自分も医療従事者の端くれとして、自分が正しいと思うことをしたい。

ラスト、成宮寛貴が新米医師として赴任した医院にて、若き頃の母親の写真を目にするシーンがあります。息子はそんな母の姿ににこっと微笑む。いっけん、息子が母親の意思を受け継いだようなラストに見えますが、この写真のこの瞬間の母の想いを、息子はごく浅いところでしか理解してしていない。
若い息子に分かるわけないのです。
1人の女性看護師がどのように生きて、命の燃え尽きる瞬間どんな気持ちでいたか、例え息子であったとしても、誰であっても理解はできない。
そして、人は死に方を選べないのです。

オペの説明をする医師の顔ばかりをみつめてしまうシーン、最後のクーパーを医師に渡すシーン、去っていく車に駆け寄るシーン、孤独なひとりの女性に、ようやく芽生えた生きる希望、密かな恋心も含め、主人公がただ、ひたむきに生きている姿に心を打たれる2時間。
本作は、赤十字病院で働くオペ看2年目の息子に勧められた映画でした。