ryosuke

街の天使のryosukeのレビュー・感想・評価

街の天使(1928年製作の映画)
3.7
監督ボーゼージ、主演ジャネット・ゲイナー&チャールズ・ファレルのトリオ作品を見るのは「第七天国」「幸運の星」に次いで三本目。
冒頭、ソーセージを盗まれたと騒ぐ男とドラムが破れたと怒る男の言い争いから、カメラが縦横無尽に移動し人々が行き交う空間を映し出し、別の人物に焦点を合わせるまでの長回しが素晴らしい。中盤で何度か出てくる長い横移動もそうなのだが、ワンカットでこれを見せておくことでグッと世界の広がりが生まれ、物語世界に実在感が出てくるように思う。
「第七天国」もそうだったが、ボーゼージはカメラ移動を意識して組み立てることができるセット撮影の利点を活かし、上下運動を用いてダイナミックに見せるのがウリのようだ。警官に追われるヒロインが母の死体と抱き合った後、窓から脱出して下降し、破れたドラムという小道具を回収してヒロインがその中に逃げ込むまでの流れも鮮やか。そういう意味では序盤が一番良かったかもしれないな。
もうちょっとマシな画質で見られればさぞ良いだろうなとも思ったが(「幸運の星」がかなり良い状態だったので期待してしまった)、ボヤけた画質でもジャネット・ゲイナーの美しさは輝いていた。彼女の儚い表情と、柔らかな、心からの幸福感を表出できる笑顔が哀愁のあるメロドラマにぴったりだ。ヤギをけしかけられて倒れ、衣装が破れたことに怒り、地団駄を踏んで板を割ろうとする姿がキュート。
ジーノがアンジェラを霊感の源と言うように、彼女は恋人であると同時に芸術家にとってのミューズでもある。これは、ジャネット・ゲイナーを何度も起用したボーゼージの気持ちが仮託されているのかもしれない。
字幕で“Angela”と表示されると、この役名が天使“angel”と掛かっていることが分かるのだが、見終わって調べてみると“street angel”には売春婦という意味があるようで、多義的な意味が込められていることが分かった。
ジーノは、窓から客引きをする売春婦を見つけて貶し、ウブな君には分からないだろうと述べる。彼がいわゆる聖母と娼婦の二分法に陥っていることが分かるのだが、実際のところヒロインは単純に前者に分類されるような存在ではないことは序盤の光景を見ていた観客は分かっている。このギャップが危機を予感させる。
別れのシーンもボーゼージらしく高低差を用いて演出される。小柄なジャネット・ゲイナーとチャールズ・ファレルの身長差キスを見せた後、アンジェラは小さな体を目一杯使って階段に倒れ込み、ジーノの足を掴む。ジーノは、ドアから出て行くヒロインを、ベッドのある室内上段のスペースで手すりに足をかけて見送る。前半でアンジェラがいつも同じ口笛だと文句を言うシーンがあるが、このシーンでは壁を挟んでその口笛が共鳴する。
ヒロインを失ったジーノが画面奥へ奥へと進んでいく様子をロングテイクで追うトラッキング。カメラギリギリをすれ違う人を織り交ぜながらカメラの前を大量の人物が横切り、行き着く先で壁の前に立つジーノの上を、壁に映る大量の影が滑っていく。彼の孤独を的確に映像で示してみせる。
「第七天国」「幸運の星」のトリオである以上、やはり二人は最後に再び出会う。画面全体に霞がかかる(フィルターだろうか、ほとんど絵画のように見える)幻想的な波止場で二人は鉢合わせるのだが、この瞬間のチャールズ・ファレルは恐ろしい表情を見せる。それでも、このトリオであれば、上記二作品のようにラストに奇跡が起こるはずなのだ。本作のそれは、ジーノがアンジェラを追いかけて行った先でアンジェラと向き合う時、かつて自分が描いた天使の絵の前に導かれているというものだった。この絵は、信じるべきものは陳腐な道徳意識などではなく、かつて自分が見た紛れもない真の美しさなのだということを教える。そうであれば、ジーノは別れの日のように足に縋り付くアンジェラを抱きしめることになるだろう。
ryosuke

ryosuke