だい

殴られる男のだいのネタバレレビュー・内容・結末

殴られる男(1956年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

自尊心よりも金を選んだ男たち。
妻にあそこまで言われても頑なに金を選ぶエディに全く共感できないのがつらい。


当時の興行っていうのの形については、
元々プロレスオタクだったからある程度はわかってるつもりで、
情報源が新聞や雑誌しかないから、
「未知の強豪」という幻想をいくらでも売りにできた時代の、
ある意味では牧歌的な物語なんだよなぁ。

昔さ、
ザ・コンビクトが「刑務所を脱獄してきた」という設定で囚人服でファイトしてたけど(ぼくが生まれるよりずっと前)、

現代の冷めた観点で見ればさ、
「ホントに脱獄してきたなら、バレないように囚人服脱ぐやろ!」
とかいくらでも突っ込めるんだけど、
「わー!脱獄してきた凶悪犯だ!」
と当時は本気で怖がる人もいたという牧歌的な時代。

だからこそ、
あんな風にバスまで走らせて宣伝して、
本当に信じ込む人もいて、
負けるほうもさ、
金もらって、
1敗くらい後々無かったようなことにしてもらえて、
まぁ、片八百長成り立ってもおかしくはないわな。


だからね、
トロを「持ち物」扱いして、
ろくな給金も与えない、って部分は糞野郎とはいえ、
ボクシングを完全にショーとして割り切って「経営」してる、
っていうことに関しては責められないんだよなぁ。

むしろエディこそ中途半端にフラッフラして、
やるなら徹底して割り切ってやらんかい!
ショーとして割り切れないなら最初っからやんな!
しかないわ。


結局さ、
価値観の違う人と一緒に仕事しちゃダメだし、
中途半端な状態で仕事しちゃダメなんだよなぁ。

あれがね、
片八百長じゃなくて、最初からトロも共犯の上での八百長だったら話が違ったんですよ。そしたらたぶんその段階でギャラも含めたシェアリングができるしね。

莫大な経費をかけてショーを作る人
経費のことは考えずに宣伝を打つ人
ショーだと思ってない演者

瓦解するのわかりきってるだろ!


エディが最後に執筆を始めた本が出版されて、
読んだ大衆が、
「騙された!金返せ!」ってなるのか、
「まぁ、そりゃそやろ」ってなるのか、

現代なら間違いなく後者になるんだよなぁ。

それくらい「ショービジネス」って、
今では誰も夢見ないコンテンツになったんだなぁ、とか。
悲しいなぁ。
だい

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