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オープニング・ナイトのHKのレビュー・感想・評価

オープニング・ナイト(1978年製作の映画)
3.5
『こわれゆく女』『フェイシズ』などのジョン・カサヴェデス監督によるアメリカ映画。キャストはジーナ・ローランズ、ジョン・カサヴェデスなどなど

年齢を重ねていくうちに段々とその身に老いをひしひしと感じてきていいるスター級の舞台女優が、自分を追っかけて来た女性ファンがトラックに轢かれて死んでしまう事件を目撃してしまったのが原因で、心のバランスを崩していき、次第に自分の演技に疑問を抱き苦悩していく。

俳優としてデビューしているジョン・カサヴェデスが、自分の妻であるジーナ・ローランズとともに、唯一夫婦役として共演した作品である。自らのジーナ・ローランズとの関係性を入れ子構造として再現するように、メタ要素というものを演劇として投入していく。

この映画においても、ひたすら鏡というものを上手く利用しながら、自分の顔を見つめなおすことによって段々と自分に対する信頼を失っていく一人の女優が、次第にその精神を犯されていく様子が描かれている。

しかし、『パーフェクトブルー』のようなドラマティックな要素というものは、あまり感じられる所はない。ただ、後年の作品にも恐らく影響させていそうな鏡でのアイデンティティの分裂のシークエンスなんてとても印象に残る。

多分ただの憶測かもしれないけど薬師丸ひろ子の『Wの悲劇』とかもここからのインスピレーションを多分に受けてるんじゃないのかなとは思ったりします。やっぱり演劇てそれ自体だと、映画としてはやはり成立できないのですが、舞台裏まで含めたメタ構造を投入することで、その迫真性を露にすることで映画としてのクオリティーを上げることって可能なのだと思いますよね。

このフィルマークス内だとかなり評価が高いのですが、個人的には自分の思い描いていた舞台裏劇とはちょっと違って微妙に思ってしまいました。バッドエンド至上主義の私としては、あの劇の内容で拍手喝采で終了というのには納得できない。

まあ、全体的にあのファンの一人の少女がなくなってしまうまでの過程の描き方は、最近みた『キングオブコメディ』とかに多分に影響を与えているのではないかと思いますけどね。

しかし、たかだか一人の少女がなくなった所から、段々と精神がおかしくなるという所に明確で密接な関係性を見出すことが個人的には難しかったんですよね。別に大切な人でもないのにそんな人が死んだところでなんであんな精神を病む必要があるのか。

と、一応言っていますが、いざあんな現場を目撃してしまったら恐らく多分に影響を受けてしまうのでしょうね。ただ、あの後のジーナ・ローランズの戸惑いの仕方とか、段々と言い訳を積み重ねていく描写が個人的には苛々しちゃいましたね。

あそこでの心の吐露というものも、恐らく監督のジョン・カサヴェデスが実際に旦那として体験してきたからこそできたのだとは思いますが、やはり映画として見てみると、ちょっとばかり迫力に欠けてしまうような気がします。

あと、マートルが初めて台本に従わずにアドリブで演技をやった際には、賛否両論になったというのに、そこから精神的な成長とか明確な家庭を描かないで最後のあのオープニングナイトをやった際には認められるというのも、前述しましたがなんか納得がいかない。

唯一好きだったのは、ジーナ・ローランズの心の吐露以外での、倒れこんだ後の明らかに精神に異常をきたしたであろうマートルの演技だと思いますね。やっぱりそういうのは個人的には好きなのでそういうのは見れて良かったと思いますよ。

でもやはり大女優の抱く孤独というものを表すのに、典型的な物凄くでかいグランドホテルみたいな部屋を用いるというのも、やはりちょっと典型的すぎるかなと思っちゃたりしますね。

でも見れて良かったと思います。鏡から精神分裂の症状として事故死した女が出てくるのはびっくりしました。
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