青

ガメラ3 邪神<イリス>覚醒の青のネタバレレビュー・内容・結末

3.2

このレビューはネタバレを含みます

ガメラスーツ(?)の細部が変更されており、より巨大生物らしくなっている。1では流石に目玉が大きすぎるだろうと思っていたが、今作のガメラの眼は小さい。また、甲羅を触手が貫通する演出や体液が噴き出す演出などが実現している。生身の生物らしさを、中に人が入ったスーツでやってみせるためには、これまた工夫がたくさん必要だろう。
ストーリーはシンプルなはずなのだが、朝倉・倉田コンビの挿入や、中国と日本の神話のモチーフの挿入があることで、そこそこごちゃっとしている印象。特に、朝倉・倉田達の正体と彼らが一体何をしたかったのかは全然分からなかった。イリス少女をなぜ拉致したのかも理解できない。しまいには京都駅で立ち話を始める始末なので、長峰達と合流させるためのご都合的な展開だったのかもしれない。
1や2では疑似科学的な説明が物語の説得力を増す意味で深みを与えており(納得できる説明かはともかく)、3でもそれを期待したのだが、今作はあまり疑似科学的な説明はなかった。イリスに関しては、とにかく自己の意思で進化(?)できる最強の生物なのだということと、女の子と融合したいキモイ生物であることしか分からなかった。個人的に、成体イリスのデザインはテレビゲームの召喚獣っぽいと感じてしまい、好きではない(FFが流行していた時期なので、多分影響は受けている)。
その代わり、中国と日本神話による説明が挿入され、なぜこれらの生物が存在するのか、彼らは一体どこからきて何のために闘っているのかへの説明が与えられる。神話といっても「四神」だが。中国発祥の守り神がなぜ古代から日本にいるのかは知らない。どの守り神がどの怪獣に対応しているのかも覚えていない。確か、朱雀がギャオス、玄武がガメラだったような。そうすると南北の関係になるのだが、南北の関係ってライバルのように戦う間柄なのか?けどまぁ疑似科学と同様に、ガメラがありがたい神様なのだということは分かった。

そういえば、ガメラに対する疑似科学的な説明ってなされていたっけ?いないよね。巨大なあの亀が一体どうやって動いているのか、遺伝子情報がどうなっているのか気にならないのか。ギャオスとレギオンはそれっぽく説明されていたのに。
亀の血液は緑色ではない。正体不明の生物という演出のためにあえて緑にしているのだろうが。青緑っぽい血液が仮に酸素を運搬していると想定するなら、血液中には銅が含まれているのだろう。鉄(ヘモグロビン)と銅(ヘモシアニン)では、前者のほうが酸素の運搬効率は良いらしい。ということは血液は赤の方がいいのではなんて余計なチャチャを入れてみる。それに、イリスは人を食していた一方、ガメラが何を食し、どのようにエネルギーを産生しているのかは謎である。でもこういうのも全部ロマンに回収されるのかな。こういう会話が親と子の間でなされているのなら、その子のなかに科学になじめる土台が出来上がると思う。怪獣ものやヒーローもののに疑似科学的説明が与えられるメリットは、もしかしたら、その説明が本当か否かを検証することで科学を好きになれる可能性があることなのかもしれない。

ガメラのような巨大生物が都会で暴れればそれなりの死傷者が発生するという当然想像可能な事象を、割と直接的に描いていると感じた。例えば、怪獣の闘いによって、人が吹き飛ばされたり、炎に包まれたりする様子が画面にしっかり映る。何よりも、イリスに体液を吸収されることでミイラ化した死体がはっきり映る。ガメラ1を振り返ってみれば、ギャオスが人間を捕食する設定なのにもかかわらず、人間の血や骨は描かれない。人が電車の下敷きになる場面はあるが、真上からの視点なので、潰れる様子は画面には映らない。転じて、ガメラ2では南北線の運転手の血しぶきのシーンがある。つまり、シリーズを追うごとに、人が死ぬ様子が直接的に描かれるようになっている。リアリティをもたせるためには、確かに、人が死んでいることを無視するわけにはいかないだろう。イリス少女がガメラを憎んでいる設定も、大きな善のために犠牲が生じることを突きつけている。ただ、いたずらな人の死の演出と、家族を失ったイリス少女の悲しみや人間を想うガメラという主題とがうまくかみ合っていないような気がした。描きたいのは、恐怖なのか、慈悲と守護なのか?
最終的にイリス少女の心が救われたのかよく分からない。
あと、イリス少女を守る少年君は、物語に必要なのか?あの剣、必要だった?

中山忍が再登場。相変わらず綺麗。しかし、笑顔の画はない。この時代の作品なのにもかかわらず、美人女優を微笑ませなければならない呪いにはかかっていない映画である。こういう例外もあるんだね。
1、2では少女だった藤谷文子も、大人になって再登場。『北の国から』シリーズを観たときと、似た気持ちになった。
1999年当時の世界の終わり系思想の盛り上がりはうっすらと記憶している程度なのだが、この映画の結末もその当時の観衆の盛り上がりに合わせて決着がつかないままにしている。世界が滅亡するのか否かは分からない。あの大量のギャオスに対して、満身創痍で片腕のガメラが敵うとは思わない。したがって、自衛隊の総力に賭けるしかないと思われるが、勝っても負けても莫大な数の犠牲者がでることが予想される。険しいエンディングだ。仙台が消滅してしまった日本に興味はないので、別にどうでもいいのだが。
青