青

地球の静止する日の青のレビュー・感想・評価

地球の静止する日(1951年製作の映画)
3.6
古典的SFと聞いて鑑賞。
地球における「制圧」とか「征服」がテーマか。宇宙人のための地球征服マニュアルのようだなと個人的には感じた。
地球に宇宙人の言うことを聞かせるためには、宇宙人が地球にとっての脅威を示せばよいという発想があり、皮肉が効いていて良いと思った。脅威を示すことは絶対的な優位性を示すことでもある。宇宙人は平和的な解決策を提示しているかのように見せかけて、圧倒的な武力と科学力の顕示が背後にある。
冷戦期に作られたとなれば、ラストの宇宙人による説得的な語りは、武力ではなく言葉で解決するお手本のように見受けられる。しかし、先にも述べたように、宇宙人の圧倒的な武力・科学力が背後にちらついているので、相手を脅すことで有無を言わさずに制圧するやり方が賢い方法であることを示し、そのやり方による外交を正当化しているようにもとれる。
この地球制圧のストーリーは、地球人である脚本家の地球おける政治的発想に縛られているとみることもできる。しかし、好意的に解釈すれば、宇宙人が地球人を理解した結果、地球を説得するためには圧倒的な科学力を見せつければ良いと考えたという設定があるとみることもできる。後者の解釈の方が、地球を征服するには何が必要かという本作のテーマに符合するし、人間の好意を利用したクラトゥの底知れなさもはっきりするからいい。
一般的に「電気をとめる」と言われれば、電気が供給されなくなることを意味するが、本作では電気そのものが失われることを意味している。自動車が走らなくなったことからそのように解釈できる。また、発電という科学的な現象そのものが乗っ取られてしまうことは、(深読みかもしれないが)おそらく人体内の生理的な電気さえも奪われることを意味しているかもしれない。これは人類にとって脅威だろう。生理的な電気刺激がなければ、あらゆる生命維持活動が停止するからだ。さらに、原子レベルでのあらゆる化学反応も乗っ取られてしまうかもしれない。このような地球の状態を招来することになれば、それはまさしく「地球の静止する日」と呼べるだろう。

子役の演技(顔芸)が上手かった。宇宙船内部のデザインがまさに、いわゆる「過去にデザインされた近未来SF」って感じで、「うわー、私、制作当時にとっての未来から観てるー」ってなった。
青