GodSpeed楓

仁義なき戦い 広島死闘篇のGodSpeed楓のレビュー・感想・評価

仁義なき戦い 広島死闘篇(1973年製作の映画)
4.2
"続編"と呼ばれる作品、特に"2作目"というものは、1作目の出来によってハードルの高さが大きく変わる。そして必ず1作目と比較されてしまうという悲しい宿命を背負っている。期待値を乗り越えられなかった作品は、それ単体であれば十分な完成度を誇っていたとしても、得てして駄作のレッテルを貼られてしまう。もしくは主題(テーマ)が変わっていたり、アクション重視やグロテスク重視になっていたり、1作目が何故人気を博したのか、という点を理解せずに制作されたんじゃないか?というような作品が往々としてこのような憂き目に遭う。
(「ミッション:インポッシブル2」や「ハンニバル」、「スピード2」とかの事と思いましたか?そうだよ!!!)

しかし、この作品の凄いところは1作目で描かれていた山守会周辺の闘争の続きではなく、主役だった広能(菅原文太)が、あくまで狂言廻しのような役回りを演じている事だ。本作では新たな主役として山中(北大路欣也)、ライバルとして大友(千葉真一)を据えて、彼らの壮絶な生き様を描いている。つまるところ"番外編"なのだ。本作を観る前に必要な予備知識としては"山守と槇原はクソゴミ"、"山守と広能は仲が悪い"ぐらいなので、2作目の割りに鑑賞のハードルは低いものになっている。

前作は山守&槇原のクソゴミタッグが跳梁跋扈して、策謀によって邪魔者達(しかも大体が身内)を排除するという仁義の無さをブリバリ発揮していたが、本作の主役である山中は、組のため、義理のために自らの手を汚し続けるヒットマン、"殺し屋"。対するもう一人の主役である大友は、己が欲望のためには手段を選ばず、即行動に移して破壊の限りを尽くす、"狂人"という、またも仁義が無さそうなW主人公でお送りされる。この2人の対比が素晴らしく、2種類の狂気に囚われた男たちの破滅をご覧いただける至高の一品である。

今更こんな有名シリーズについて多くを語るつもりは無いのだが、本シリーズを未鑑賞の方は「広島死闘篇」までは是非ご覧になって頂きたい。特にアクション描写の濃厚さ、壮絶さは筆舌に尽くしがたい。格闘技術を一切感じない、素人の延長戦みたいなシンプルな"ケンカ暴力"によって巻き起こる乱戦。チャカを持っているとはいえ、それを実際に撃つ事の緊張感、そして覚悟を決めても大体突撃して一緒に転ぶ。簡単には攻撃はクリーンヒットしないし、銃は無駄に乱射するし、刃物は無意味に振り回す。
というような格好のつかなさが本当に生々しい。そんな素人の中でも射撃に躊躇なく、腰を落として両手で構え、真っすぐに相手を撃つ山中の姿が、他者とは別格であると強く感じるのだ。

尚、これをきっかけに続編までご覧になる予定の方々の中で、配役の名前よりも俳優の名前でキャラを見分けている方々には本当にご注意頂きたい。本シリーズでは死んだ男が当たり前のツラして別人の名前を背負って再登場する。(松方弘樹、梅宮辰夫、北大路欣也など)
それどころか、同じ人物を別のキャストが演じる事すらある(千葉真一から宍戸錠へ交代)ので、キャストではなく、作品によって都度改めて配役名で認識をする必要がある事を覚えておいてほしい。

余談だが、Netflixを再契約したのを機に久々に見直しているのだが、何故か4作目の「頂上作戦」だけがラインナップから抜けている。内容的には「完結篇」だけ無い方が、まだ納得できるのだが、一体どういう了見で抜けているのかが全く分からない。挙句にTSUTAYAに行ったら「頂上作戦」だけレンタルされていた。恐らく僕と同様、Netflixユーザの仕業だろうにも関わらず、理不尽にも僕は怒り狂ってしまった。

本作一番の謎として君臨しているシーンが、襲われてビンタした後に少し見つめ合って、そのまま抱かれるという梶芽衣子。嫌よ嫌よも、というより元から好意を持っていたと思っているが、この女心は、ちょっと僕には難しかった。まさに"女心と呉の空"、と言ったところだ。(そんな言葉は無い)
GodSpeed楓

GodSpeed楓