GodSpeed楓

ジョゼと虎と魚たちのGodSpeed楓のネタバレレビュー・内容・結末

ジョゼと虎と魚たち(2020年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

日本の小説が原作で、邦画実写化、国内アニメ化に続いて韓国リメイクを果たした人気作。まず大前提として僕は、この韓国版が初ジョゼなので比較で語る(そもそも作品単体で評価せず、比較で語ること自体がナンセンスであるという点には目を瞑るとして)事が出来ない点にはご留意頂きたい。あらすじもキャストも知らず完全初見で臨んだ視点からの文章となる。

とても言葉数の少ない、まるで囁くように言葉を交わし合うヨンソクとジョゼの「会話劇」と言っても過言ではない。「静」と「動」で言えば、完全に前者の繊細な恋愛映画。各登場人物とも大袈裟な感情表現(映画的な誇張表現も決して悪いものではないが)は全編通して一切無く、落ち着いた四季折々の韓国の風景も相まって美しく詩的な空気感を生み出していた。流石、演技オタクの国と呼ばれるだけあり、僅かな表情の変化や間(ま)の作り方で感情を伝えてくる韓国映画の本領を発揮している、繊細で素晴らしい映画だった。

幼馴染から聞く過去の話や、「タメ語を使うな」と指摘するようにジョゼの方が年齢は大人の女性であるというのも、2人の関係性に強く色を与えてくれていた。当然、出会った当初は空想を語りがちな変わり者であるジョゼは精神的に優位なわけでもないのだが、ヨンソクの視線や挙動からも伝わってくる精神的幼さも強く描写されているので、あまり上下のようなものは感じない心地よい関係性だ。また、彼女の置かれている境遇に韓国社会が強く反映されていて、ヨンソクから見た彼女の生活に対して「力になりたい、無知な自分でも力になれる事がある」と思った上での福祉活動などの行動が、後の水族館で語られる「外側から見た、内側だけの幸福」に繋がっていく。

ヨンソクとジョゼの恋愛感情は、本当に純粋な愛だったのか。それとも、同情によって生み出された幻想に過ぎないものだったのか。恐ろしい存在のはずの「虎」が入ってきても、もう怖くないと言うジョゼは心からヨンソクを愛しているのだろう。それでも、一度ジョゼがヨンソクを拒絶した際に感じた同情や偏見、そしてそこに付け込んで(そういった意図は無かったのだろうが、結果として)一緒にいる事を要求、強要してしまったような負い目があったのかもしれない。ヨンソクを幻想に捕らえてしまったのはジョゼ自身なのだと気付いてしまったのだろうか。

だから水族館でジョゼが告げた言葉は、ヨンソクに対する赦しであり、ある種の呪いからの解放だったのかもしれない。それがヨンソクにとっては突き放されたと感じるものだとしても、お互いが幸せになるためのジョゼの判断として正しかったのだろう。これはヨンソクの日常的な女性関係を描写するシーンがあったからこそ説得力を持てたのかもしれないが、少なくともヨンソク自身には自覚が無く、彼はジョゼを本当に愛していたようにも見える。幻を見てる本人には気付けないのは当然だ。「そんな事、言うなよ」というヨンソクの言葉は、僕も同時に心の中で言ってしまうほど自然な言葉であり、ヨンソクと一緒に涙が出た。それでも、あの結末を見るからに、お互い納得の上で関係を終わらせられたのだと信じたい。

「クロニッカ、ケンチャナ。」
GodSpeed楓

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