Kamiyo

仮面/ペルソナのKamiyoのレビュー・感想・評価

仮面/ペルソナ(1967年製作の映画)
3.5
1967年 ”仮面ペルソナ”監督 イングマール・ベルイマン
脚本 イングマール・ベルイマン
製作 イングマール・ベルイマン

映画好きの僕はイングマール・ベルイマン の作品は20代の時に1962年(昭和37年)『沈黙』しか観ていないのだ。。。。。これ難解でわからないのですが 。。
さて今回は ”ただYouTubeで評価高い映画としてイングマール.ベイルマン1967年(昭和42年)”仮面/ペルソナ”を観た、よく分からないけども理解したいとも
思わないが。。やはり難解でわからない
両方とも古い作品。。半世紀以上の前で
看護師が一方的に話をしている時の内容は凄く引き込まれる話で乱交の話などは、生々しかった。
「理解するな、感じろ」という類の映画でもないように思う。その理解力が決定的に僕にはないのでしょうか。

筋書きとしては突然失語症になった舞台女優エリザベート(リヴ・ウルマン)は「女優」という職業がら、嘘の自分を演じることに疲れたのか、疑問を持ってしまったのか、声を失い、生きる気力も失う。彼女の担当になった看護婦アルマ(ビビ・アンデション)と、二人だけで、精神科医の勧めもあり、海辺の別荘で転地療養をするようになる
献身的に彼女の世話をやき、喋らない彼女の代わりに自分のことをどんどん話す。2人はまるで姉妹のように(恋人のように)仲睦まじく親密だ。
喋り続けるのは看護婦アルマ「こんなこと人に話すの初めて」と言いながら過去の秘密を話して泣き崩れたり。ちょっと経ってから見ると、アルマのほうが患者にしか見えません。
しかしある時、エリザベートが担当の精神科医にあてた手紙を読んでしまったアルマは衝撃を受ける。そこには、自分のことを詳細に書き、かつ、見下したような内容があったからだ。エリザベートは病気のふりをして自分を観察して楽しんでいたのか・・・、
2人の仲に亀裂が走り、アルマはエリザベートを憎むようになる。
そんなある日、エリザベートの夫が訪ねてきて、アルマをエリザベートと呼ぶ。アルマはエリザベートと息子のことを自分のように語りはじめ、アルマとエリザベートの肉体はやがて1つに・・・
(この辺から、これって幻覚かしらと思いはじめる)
二人の人格が融合する辺りから話は観念的になり、混乱してくるが、取り込まれないように抗うアルマ。
アルマは何度もエリザベートを殴りつける。「私はあなたのようにならない!」――翌朝、何事もなかったかのように、帰り支度をすませると、アルマは一人でバスに乗り、町に戻って行くのだった。。
ラストはやや不可解に終わる。

さて、この現象は何か?一般的には、1つ同じ屋根の下で暮らし、エリザベートを崇拝していたアルマは、彼女を憎むことで、より歪んだ愛情をエリザベートに持ってしまったため、自分がエリザベートになりたいと強く願うようになったのか?アルマの外的側面がエリザベートということか?
僕はそうではないと思う。声を失くした女優は実はアルマで、その精神的ショックから、自分が看護婦のアルマだと思い込んでしまったのではないか?
本当は看護婦のエリザベートは、治療の一環として、自分が女優のエリザベートのふりをして、患者エリザベート(アルマ)を観察していたのではないだろうか?本当のエリザベート(アルマ)は、夫の出現もあり、本来の自分を一瞬は取り戻したかに思えたが、しかし再びエリザベートであることを強く拒否し(息子を憎み、仮面をつけて演じていた自分を嫌悪しているため)、再び狂気の世界へ逃げ込んだのではないだろうか?

看護婦アルマとして町へ帰っていくエリザベート(アルマ)だが、アルマ(エリザベート)はどうなったのだろうか?もしかしたらエリザベート(アルマ)が殺してしまったのかもしれない。狂気は進行してしまったのだ

北欧ではこんな風に、患者に看護師が1:1で一日中付き添うんだろうか。
正直言って良く分からない作品だったが、悪夢を見ているような感覚になった。モノクロが印象に残る。
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