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Vフォー・ヴェンデッタのKのネタバレレビュー・内容・結末

Vフォー・ヴェンデッタ(2005年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

本作はDCのコミックを原作としたもので、ジャンル的にはヒーロー映画となっていますが、本質的にはそれとは異なるものです。

舞台は第三次世界大戦後。かつてのアメリカ合衆国が事実上崩壊し、独裁者アダム・サトラーによって全体主義国家と化したイングランドで「サトラー」という名前から分かる通りナチスドイツがモデルとなっています(ていうかまんまです)。

そんな独裁国家に「革命」を起こして世を変えようと図るVという名の男の物語なのですが、このVという男は己の目的を果たすためなら裁判所を爆破したり、政府の幹部を殺したりと「ヒーロー物」の映画としてはかなり過激です。

彼の目的は一貫して「革命」にあるのですが、これを現代に置き換えると「テロリズム」という言葉で表現されます。

この言葉を聴いてイメージするのは、己の思想のために人々を殺し混乱を巻き起こすといったところでしょうが、本質的に「革命」と「テロ」って言い回しが異なるだけで同じものなんですよね。その動機は共通して「世の中に対する不満」からきているのです。

「革命」が成功に終わればその首謀者は英雄として扱われ、失敗に終われば「テロの首謀者」でしかないのです。

かつてフランスの将軍は"反逆者とは数日間の呼び名に過ぎぬ"と表現しました。要は変化を生み出すには既存の物を壊し、「正しさ」から逸脱する必要があるのです。

本作のVも政府から反逆者として扱われますが、彼は国民に対して自分達が無意識のうちに享受している社会は本当に正しい姿なのかと問います。

人々が思う正しさとは、主観的なものであり、それが集合体となり体系的になったものが法やモラルというものなのです。

しかしそれが絶対的に正しいものであるとは誰も言い切れないのです。完全でない人間が作った法もまた完全ではないのです。

社会も同じです。理不尽でどこかおかしいと思いながらも、みんなそれを知らず知らずのうちに受け入れ生きていく。そんな世の中に疑問符を投げかけ、本当の正しさを気付かせるのがVなのです。

私は冒頭で「ヒーロー物とは異なる」と述べました。往年のヒーロー像は困っている人を助け、決して殺しはせず、倫理やモラルに忠実です。しかしVは違います。破壊や殺しをしてでも世の中に疑問を呈し、彼自身の「理念」を投げかけるのです。

この映画の冒頭に「個」は死ぬが「理念」は生き続けるといった台詞があります。既存のヒーローが「個」を助けてもそれは一時的な救済でしかないのです。「個」を捨てでも「理念」を根深せるVは世間の人々を導くきっかけであり、ヒーローとは全くの別物なのです。それが彼の魅力であり、この映画の全てです。
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