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こわれゆく女のHKのレビュー・感想・評価

こわれゆく女(1974年製作の映画)
4.5
『アメリカの影』『フェイシズ』などのアメリカインディー映画界の巨匠、ジョン・カサヴェデス監督によるアメリカ映画。キャストはジーナ・ローランズ、ピーター・フォーク、マシュー・カッセルなどなど

土木作業員として働く男には、妻と子供たちがいた。しかし、彼の妻はどこかおかしい性格をしていた。常日頃どこか訳の分からないジェスチャーや奇妙な行動をしていて、まるでそれは子供じみていた。揚げ句の果てには一人になると深夜に徘徊するなど自由に動き回る様子に、旦那はついに耐えられず…

アメリカの従来のハリウッドバジェットに頼らず、低予算の映画製作でインディー映画界を牽引してきた監督にして、俳優としても活躍していたジョン・カサヴェデス監督が、自分の奥さんであるジーナ・ローランズを採用して映画化したアメリカ映画。

ジーナ・ローランズは自分としては最近みた『スケルトンキー』におけるヴァイオレットおばさんが一番印象に残る。ヒステリックで怖いおばさんをやらせれば天下一品みたいな人ですね。顔もきりっとしているし、旦那さんとの関係も含めれば日本における岩下志麻みたいな立ち位置に位置するように見える。

ジョン・カサヴェデス監督の最大の特徴。それは『顔を撮る』ということ。クローズアップなんてものではない。デカトラージュによって切り取られる顔を何度も見せつけるのが、この人の最大の特徴。

最近紹介したロベール・ブレッソン監督とは真逆のことをしているんですよ。ブレッソンは手足の動きをデカトラージュで撮ることによって、登場人物の内面とか心情を描写することを、敢えて排除していました。そうすることで、ある種科学者が過程の観察記録を残すような静謐さを出すためです。

それに対して、カサヴェデス監督はひたすら顔をピックアップして、その表情の機微をデカトラージュで微細なまでに映しこませることによって、その内面や心情などを汲み取りながら、映像的にとても緊張感があり鋭敏とした絵で構成するような映画を撮っていたわけです。それこそ1920年代の視覚効果中心の映画作りに近い。

それゆえに、映画には絶えず顔の表情からそれぞれの心の内面や琴線をえぐり取られるような構成になっていますので、140分の映画でありながら、絶えず緊張感が途切れることなく持続する。それこそが、この映画の魅力と言いますか、このような撮影方法で生々しさを浮き彫りにすることが一番のカサヴェデスの妙ともいえるわけです。

映画の題名は『こわれゆく女』ですが、もう初めからこの女の人はぶっ壊れてます。ジーナ・ローランズの見事としか言いようがない強烈な顔面、鋭い眼光でありながら、所々本当に何をしでかすか分からないような彼女の微細な仕草や表情の機微から感じ取ることができます。

そして、次第に判明していくのですが、ピーターフォーク演じる男の方もだいぶ壊れている印象を受けますね。ちなみにピーターフォーク、『刑事コロンボ』などで有名ですが、ジョン・カサヴェデス監督の製作費に充てるために永続的に出演していたようです。

この映画の一番の見どころは、メイベルを精神病院に送るまでの緊迫感あふれるニック自宅での攻防にある。ここでのシークエンスでは、ピンボケを利用しながらも、不自然さを出しながら生々しさを出すことに成功します。

そして、ここで怖い所なのは、まさにこれがカサヴェデス監督がこれまでの『顔のクローズアップから心情を描写する』ことに対する諦念というものを感じ取ることが出来るのです。

これまで『アメリカの影』からひたすら内面をえぐり出すことに焦点を当てて映画を作ってきたカサヴェデス監督ですが、フェイシズあたりからそれに対して疑念を呈すようになっていき、ある意味その疑念に対する答えのようなものがこの映画に詰まっているのかもしれません。

最早、アイデンティティーが崩壊してしまった人間相手に、いくらクローズアップを当ててもその後の行動をなどを推測することはできません。それ故にどこにも平穏できる空間を作ることが出来ずに、映画は絶えずその生々しい緊張感を残し続けるのです。

そして、壊れていく女と共に、段々と壊れていく男、たとえ退院したとしても、最後には彼のあの言動が、結局のところ、この二人に対する理解の不可能性というものを浮き彫りにしているのでしょう。

はたしてどちらが異常だったのでしょうかね。ここでの真実味はなんか『何がジェーンにおこったか?』にも通ずるようなテーマ性を持っているような気がしましたよ。

いずれにしても見れて良かったと思います。もっとカサヴェデス監督作品を見てみたい。
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