カルダモン

数に溺れてのカルダモンのレビュー・感想・評価

数に溺れて(1988年製作の映画)
4.2
ピーター・グリーナウェイ・レトロスペクティヴにて。

同姓同名の3人の女性シシー・コルビッツは、それぞれの夫をそれぞれの理由によってそれぞれの方法で殺害する。1人目は湯船で溺れさせ、2人目は海で溺れさせ、3人目はプールで溺れさせる。なんなんだこの話は、と思ったら今度は検視官としてやってきたマジェットに3人のシシーが寄ってたかって事故死として片付けるよう脅迫する。やっぱりなんなんだこの話は。

女の子が縄跳びをしながら、星の名前とともに1から100までを数える。「星はまだまだたくさんあるけど100まで数えたらあとは一緒」画面の手前には何やら動物の死骸らしきものがぶら下がっており、それが大型の鳥だということにしばらく経ってから気付いた。しかしこれが何を指すのか説明は皆無。もちろん意味などないのだろう。

ふと、画面のなかに配置された数字が1、2、3、4......とカウントアップしていることに気づく。いつしか物語そのものよりもシーンが替わるたびに画面のどこかに隠された数字を探すことに夢中になっている。ある時は家の外壁に、ある時は室内の壁に、ユニフォームのゼッケンに。おそらく100になった時に物語は終わる。しかしそれが一体なんだというのか。でも得体の知れない魅力から目が離せない。目が離せないのに眠くなる。それはマイケル・ナイマンの音楽のせいだ。私にとってこの音楽は催眠効果抜群のようで、割と序盤から目頭が重くなって参った。数字が気になる、、、でも、、眠い、、。この音楽やめろォ、、。

画面内に多分に仕掛けられた絵画的要素は数知れず。『ZOO』ではフェルメールだったが、今回はブリューゲルの『子供の遊戯』だった。この絵は画面のそこかしこで色んな遊びに興じている子供達を描いた風俗画で、遊びの種類は約80種。この映画にも縄跳びをはじめ綱引きだったり円形に並んで棒切れを隣の人に渡しながら受け取る遊びだったり、随所に遊びのシーンが描かれる。劇中に誰かの部屋の中に『子供の遊戯』が置かれていたので、引用はされているのは間違いないけど、どんな意味を込めているのかは皆目見当もつかない。けれどもそれでいいような気もする。絵的に面白いから。数字の魅力ってなんだろう。概念なのにやたらと機能的だし図形としても言葉としても成り立つ不思議。なにかしらの意味を読み取ろうとしてしまう数字の魔力。