ヨーク

数に溺れてのヨークのレビュー・感想・評価

数に溺れて(1988年製作の映画)
3.8
ピーター・グリーナウェイはこの『数に溺れて』で3本目なのだが、あれー? 20年以上前に初めて見た『英国式庭園殺人事件』が一番分かりやすい作品だったのかなー? という畏れを抱いてしまいましたね。いやー、先日観た『プロスペローの本』といい今回の『数に溺れて』といいストレートに面白いぜ! って言えるタイプの作品ではなくかなり癖の強い映画だなーという印象でした。
ま、そこは一般的な殺人ミステリものと比べたら『英国式庭園殺人事件』も相当に変な映画ではあるのだが、しかし本作はそれ以上に掴みどころの難しい作品だったように思いますね。ともすればグロテスクとさえ言っていいほどの悪趣味ささえある物語とシーンの数々をバキバキに決まった画で美しい絵画のように仕上げてしまうのは流石グリーナウェイといったところで、その手腕と作風は健在でした。あとは皮肉めいたコミカルな描写もまた全編に描かれていてそれもまた小気味よくていい。ただ、そういった美学やテクニックは存分に堪能できるのだが個人的に『プロスペローの本』から続けてのグリーナウェイだったのでちょっとパワー不足というか小手先に走ったかなぁ、という気はしてしまった。まぁ『プロスペローの本』よりパワフルな映画なんて他にそうそうないと思うだが…。そこら辺が技巧的な部分が目立って本作全体がちょっと難解になっているんじゃないかなーとは思う。いつも通りうたた寝しながら観ていたが、途中はかなり置いてけぼりを食らった。まぁでもよく分かんなくても面白い映画というのはあるのでこれもそのパターンですな。パワーよりも技のグリーナウェイという感じでした。
そのイマイチ分かりづらいお話だが、大枠としてはわりとキャッチーというか普通に娯楽映画としても余裕で展開できそうな感じで、英国の田舎の港町かなんかに暮らす同姓同名の3人の女性シシー・コルピッツは、娘・母・祖母と肉親同士なのだが同時期に愛の冷めてしまった夫をそれぞれで殺すんですよね。それも全部溺死という形で。彼女らの知り合いの検視官のマジェットは3人から一連の出来事を全て事故死として処理するように脅されるのだが、その不審な連続溺死事件はどうなっていくか…というお話です。
どうですか、すげぇ盛り上がりそうなミステリものになりそうでしょう。母、娘、祖母の三世代にわたっての溺死殺人なんてそこからどんなサスペンスが生まれるのかとワクワクしてしまう。だがすでに書いているようによくあるミステリみたいな事件の全容解明なんていう方向には進まないわけであり。映画はまず星の名前を100まで数えながら縄跳びをする少女から始まり、その100の先になど何もなくまた1から繰り返すだけだよと嘯く。そしてその少女に憧れるゲームに興じる少年。その二人の周囲をまるで天体のように3通りの夫婦の夫殺しが描かれるのである。つまり本作はその夫殺しの事件そのものというよりも彼らを殺した妻の描写と、それが子供たちの捉える世界にどのように関わっているかという映画のように俺には思えた。ね? 凄く娯楽作品らしい設定から出てくるのはとてもエンタメ映画には思えないものでしょ?
まぁ終始そういう感じでかなりシュールな映像と展開を挟みつつも男女の業の深さとか宿命的なすれ違いを時にグロテスクに時に滑稽に時に皮肉っぽく描いていくのである。ただ個人的には作品全体にはコメディ色が強いかなと思った。まぁ喜劇と悲劇というのは紙一重なものではあるが、なんか女性の深い情念染みたものを結構突き放したタッチで描き、そこのギャップに乾いた笑いがあるような感じがしたんですよね。ニヒルな感じの笑いですね。多分、あまり深くは考え過ぎずにそういうコメディくらいと受け止めた方が良さそうかなと思いました。
作中に明示される1から100までの数字が映画の進行度合いを示しているというメタ的な演出も、本作の張りぼて感というか作り物感を補強するためのものにも思える。そして縄跳び少女が言うように100の先に101はなくてまた1へと戻るのである。それは循環する天体の運行のようでもある。そして繰り返される平行線をたどる終わりのない男女のゲームのようでもある。
中々にこれはこういう映画だった! と言いにくい作品ではあるのだが個人的にはそういうものに思えましたね。変な映画ですよ。でもその変な映画さがグリーナウェイの本領でもあるんだろうな。面白かったです。
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