だい

地獄の英雄のだいのネタバレレビュー・内容・結末

地獄の英雄(1951年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

久々に本格派の名作引き当てたぞ。

新聞記者の欺瞞と驕溢にスポットを当てた社会派作品。
『群衆』もそうだけど、このテーマは外れがないなー。
50年以上経った今でも普遍的なテーマなのがすごいわ。

レオの健康よりも、
自分の名声を優先するテータム。
夫の健康よりも、
お金を優先するロレイン。

二人の利害が一致してレオの救出先延ばし作戦が始まるわけだけども、
絶妙なのは、二人の目的自体は一致してないんだよな。
テータムは目先のお金には興味がない。
全ては記者として成り上がるためにやってる。

だからこそ、
レオはギリギリで救出しなくてはいけなかった。
このニュースはハッピーエンドで終わらせなければいけなかった。

彼は悪徳記者で、
記事のでっち上げでも、過剰演出でもやるけれど、
そのために人を殺すのは彼の中では違った。
たしかにそうだ。
彼がやったことは、
自分と保安官と技師をヒーローにし、被害者の妻を悲劇のヒロインにし、被害者のレオまでもを世間の大ヒーローにしたのであって、
結果として誰一人を貶めてもいない。

おそらく彼は、
関係者全員にとっての利益=善
という原則で動いている。
端から見て、当然それこそがメディアの傲慢の根っこだとは思うわけだけれども、メディア内部がその原理で未だに動いているのも事実。
少なくともテータムはそこに疑問を些かも抱いていなかった。

自分の演出記事が、最終的にレオにとっても利益になると信じていた。
そのレオが助からないとわかった時、
彼の行為はそもそもの原則を失ったのだ。

だから彼はレオを最後に幸せにしてやりたかった。
だから彼はレオのことを考えないロレインのことが許せなかった。
目的のズレによる悲劇の連鎖。


昔、「スターは一夜にして作る」と豪語したメディアがあった。

傲慢はね、
いつしか取り返しのつかない穴の中に転落させるよ。
エースのカードだってね、
使いどころ間違えたらただの1/52だからな。
だい

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