ラース・フォン・トリアーの苦手な所は余りにも「作品=自分(監督自身)」という所が近視眼的に直結しているところであるが(それが魅力だと思う人の気持ちもわかる)、知的障害者のフリをするサークルというトリアーらしい挑発的な今作はむしろそこで描かれているものに対する距離感を感じさせながら彼らを理解しようとする優しさのようなものを感じた。
後半で明らかになるようにサークルの面々は高慢な社会正義を謳っているものの結局のところ単なる憂さ晴らしでしかないことが分かるが、ただ一人幼い子供を亡くした女性のみが最後の試練を突破する。例えばオウム真理教のように後から見てなぜ麻原みたいなしょーもない人間を信じたのかと嘲ることは可能だが、しかしそこでしか救われない魂というものも確かに存在するのだ。