なべ

JAWS/ジョーズのなべのレビュー・感想・評価

JAWS/ジョーズ(1975年製作の映画)
5.0
 新文芸坐の「夏休みだよ スピルバーグ・スペシャル」企画でジョーズが上映された。
 いやあ眼福♪ まったく隙のないつくりに平伏したわ。やっぱりこれがスピルバーグの最高傑作なんだよな。劇場デビュー作を最高というのはアレだけど、最近の翁の作品を見るとそう言わざるを得ない。少なくともレディ・プレイヤー1より100倍おもしろい(だからジョーズに関するFilmarksの評価は到底認められない)。
 弱冠26歳のスピルバーグが映画の神様にいかに愛されてたのかようくわかる。無駄のない脚本、焦らし演出、鮫の一人称目線の劇伴、わかりやすいキャラクター設定。ああ、作品の隅々まで職人技が冴えわたってるじゃないか。米国国立フィルム登録簿に登録されたのは伊達じゃない。繰り返して言うが、レディ・プレイヤー1など足下にも及ばないほど凄い作品なのだ。
 公開当時は米国の熱狂ぶりを受け、雑誌ロードショーの別冊が刊行されたほど。連日CMが流れ、“ジョーズを観ずば人にあらず”くらいの大旋風だった。久々に上映された新文芸坐では、初公開から48年ぶりの拍手が湧いてたよ。

 オープニングシークエンスはクリシー(新しい字幕ではクリッシー)の受難。演じたのはジャニス・ジョプリン似のスタントウーマン・スーザン・バックリニーだ(映画雑誌でヌードが紹介されてたよね)。
 スピルバーグ作品にしては珍しいエロスを感じさせるオープニング。見えそうで見えない裸のシルエットに集中させといて、例の劇伴が鳴り始めるや、観客はサメと視線を共にするって仕掛け。
 そして訪れるひと噛み目。何が起きたのかわからないショックの表情とはふはふする呼吸がたまらない。続いて言葉にならない叫び声と振り回される彼女を見て観客は硬直する。叫んでる途中で海に引き摺り込まれる描写の恐ろしさよ。ふいに静寂が訪れ、凪いだ波の音と遠くで鳴るブイの鐘の音がなんともいえない余韻を残す。ここでやっと奥歯を噛み締めてたことに気づき、力を抜いて息を吐き出す。ふー(額の汗を拭う仕草)。
 断っておくが、まだ鮫は1ミリも姿を見せてないからね。襲撃のインパクトとなす術のない絶望感のみが示されただけ。これは襲撃のポテンシャルを提示するプロローグなのだ。この見事なツカミを観て満点案件だと気づかない人は観るセンスが欠けてるぞ。そういうのに限って町山智浩の胡散臭いガイドをありがたがるから注意して。
 閑話休題。
 朝になって彼女は海岸に打ち上げられるのだが、観客が見るのは手と髪とそれに群がる蟹だけ。遺体の一部だけが映ってるんじゃなくて、一部しかないのだ。見た者の表情で凄惨さを伝えるなんて、奥ゆかしい残酷描写だぜ。
 遊泳禁止を却下した市長のせいで被害者はさらに増えるのだが、市長が悪玉役を担ってくれてるおかげでその後の展開が実にスムーズ。予想を裏切ることなく、それはもう気持ちよく事態は悪化していく。
 炎天下で楽しそうな海水浴客と、それを不安気に見つめる署長。何かが起こりそうでなかなか起こらない。ここの焦らし方もいいよね。どうでもいい相談事を話しかけてくるご近所さんやスイムキャップをかぶった老人などが署長の心配の邪魔をしてイライラさせる。ああ、焦ったい!
 が、ぺぺ!(スピルバーグの飼い犬だった気がする)なんてローションのような名前の犬がいなくなるところから雲行きが怪しくなる。やがてカメラが水面下のショットに切り替わると例の劇伴が。デーレ、デーレ…。移ろっていた視線が少年のバタ足に定まって…デデデデデデデデ。第二の犠牲者。もんどり打つ鮫の胸鰭がチラッと映り、吹き出す血が水面を染める。もがく少年の姿も。
 署長の動揺は、ヒッチコックのめまいズーム(後退するカメラでズームアップ)で表現される。漫画ならガーーーンッて擬音語が使われるところだ。
 防げたはずなのにと署長の後悔と自責の念がちゃんと描かれてるのが好印象(原作では鮫退治より人間関係や階級差の話がメインなんだよな)。ここで落ち込みを見せるから、遺族にビンタされるシーンが余計に胸に刺さる。
 あのミセスはトークハット(ツバなしの帽子にベールがついてる)を被ってたから敬虔なカトリック教徒なのだろう。しかも爺さんに連れられてたからきっと未亡人で、だとしたら母一人子一人なのに、ひとり息子を鮫に喰われたのか、なんてことを考えるとあのビンタに込められた想いがどういうものなのか、彼女の悔しさやこれからの孤独を思うと胸が痛くなる。怒りの矛先は署長よりも市長に向けられるべきなのに、彼女はそれを知らないんだとか、本筋ではないところで気持ちがざわついて、変に余韻が残る。たいしてセリフはないのに、情報量が多くて大変。
 フーパーによって捕獲された鮫は人食い鮫じゃないとわかるんだけど、それでもまだ市長はタカを括ってて、とうとう第三の犠牲者が。
 今回は署長の長男もヤバかった。気絶して海から引き上げられるとき、なかなか足元を見せないんだよ。観客はもしかしたら下半身がないんじゃ?と気が気じゃないのに。数秒後には五体満足なのだとわかるのだが、こういう意地悪な演出をわずかなタイミングで挟んでくるところが、やっぱり天才だなと感心する。
 さて、ついに市長を説き伏せた署長は、海洋学者フーパーと鮫ハンター・クイントと鮫狩りに出るんだけど、ここからはネタバレなしで自分の目で確認して。

 あ、でも最後にこれだけ言わせて。
 樽を追いかけるシーンがあるんだけど、ここでかかる劇伴がそれまでの曲調とは打って変わって陽気なのね。勇ましいというか高揚感が掻き立てられるというか。ここでね、気づくの。ジョーズってモンスターパニック映画なだけじゃなくて、海洋冒険映画でもあるんだなって。
 そうやって思い返すと、ホラーなテイストも多分にあり、人間ドラマっぽくもあり、ミステリーな一面もあったなと。
 ジョーズのヒットを受けて、その後何本も同じような映画がつくられたけど、どれもこれもジョーズを越えられなかったのは、そういうジャンルレスなところまで真似できなかったからじゃないかなと思うのだ。
 エイリアンの一作目もそうなんだけど、そのジャンルのきっかけをつくった作品って、枠に縛られない自由な伸びやかさが特徴的じゃない?
 型にはまった見方しかできないひとは、こんなのモンスターパニック映画じゃない!ってなるんだろうけど、それってすごく不幸な見方だと思うんだ。
 型にはまってないものをわざわざ型にはめて観ることはないんだよ。

 劇場で上映される機会があったら、絶対見逃さないで。テレビやスマホで観るのとはまるで違うから!
なべ

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