なべ

ザ・キラーのなべのレビュー・感想・評価

ザ・キラー(2023年製作の映画)
4.0
 殺しのメニューをエッジィに見せるタイトルバックからすでにクール。そのいかした映像が終わるや、ファスベンダーの鼻にかかったモノローグが始まる…。出だしからすっごくいいやんかいさー!
 やっぱりフィンチャーは別格。これは劇場で観ればよかった。叶うなら、ジャッカルの日と二本立てで、新文芸坐あたりで「暗殺の日〜その前と後」みたいなテーマでやってくれると嬉しいんだけど。

 パリの朝は静かに明けていく。だが殺し屋の心はうるさい。暗殺のルールをお題目のように唱えてるからだ。
 常日頃、モチベーションや集中力を高めるのに自分を鼓舞するタイプは二流だと思ってるが、こいつもか⁉︎ だがこのルーティン、妙なリアリティというか説得力があってクセになる(この冒頭のシーンのみ繰り返し鑑賞した)。饒舌とストイックという変な組み合わせに半ば呆れながらも魅せられ、気がつくとニヤニヤしてた。
 ポスタービジュアルから、てっきり凄腕の殺し屋の話だと勝手にイメージしてた(ザ・キラーってくらいだし)のだが、そうじゃない。
 そんなんじゃ失敗するぞとハラハラしてたら、ほら、言わんこっちゃない。みんなも思ったでしょ、そこで撃つなよと。要らぬ自己啓発にうつつを抜かしてるからこんなことになる。一流の殺し屋なら絶対あり得ないミスだ。
 しくじった殺し屋は一目散に逃げる。証拠隠滅を図りながら。家に帰るまでが遠足じゃないけど、プロなら時間が経つにつれ脱出が困難になるとわかっているからね。
 そう、これは殺し屋が仕事を失敗してからの話なのだ。今まで、誰も描こうとしなかった暗殺後のてんやわんやがこんなにおもしろいとは。こういう目のつけどころがやっぱフィンチャーだよなあ。
 Netflixとは4年間の独占契約を結んているそうだが、フィンチャーにはきっと他にもいろんな企画があるのだろう。ハリウッドでは制作に至らないマニアックなアイディアも、Netflixなら潤沢な予算が付く。
 ザ・キラーからはそんなハリウッドらしからぬニッチなオリジナリティと、おもしろさへの心意気みたいなものが感じられるのだ。
 ぼくを含めて、マーベルのビッグバジェットやディズニーのポリコレ実践映画に辟易してた人は、こういう映画を待っていた!と膝を打ったんじゃない?

 ここからネタバレ含みます。せっかくのフィンチャー作品を予備知識なしで楽しみたい方はここで離脱をおすすめします。

閑話休題。
 さて、失敗した殺し屋はドミニカのアジトに逃げ帰るのだが、代理店の放った刺客によってパートナーが半殺しにされていた。
 なるほど。「失敗しました」「仕方ない、次がんばれ!」では済まないとは思っていたけど、そういう報復が待っているのね。
 ここから殺し屋の逆恨みともいえる逆襲が始まるのだが、よくよく考えてみると、エージェントにバレてる隠れ家とか、そこに女を囲っているとか、その女に惚れているとか、この殺し屋、およそプロらしからぬ生き方をしている。
 もしかしたらあのパートナーと出会ったことで、失っていた人間性を取り戻し、暗黒街から足を洗って人生をやり直したいなんて、ジョン・ウィックのような伏線があったのかもしれないが、そんなにおわせはなかったよね?

 冷静、冷酷であろうとしながらも、情が深く、カッとなりやすい性格。そんな矛盾した人物をファスベンダーがチャーミングに演じていて、シンプルな話なのにとても繊細に彩られて見える。きっと殺し屋の感情の揺らぎにある種の危うさを感じてしまうからだろう。
 身につけたノウハウを総動員して、的確にターゲットを絞り込んでいく手口に、怒りや憤りが乗っかると、こんなにもおもしろくなるんだな。
 何より登場するエキスパートたちの個性がいい。まさに十人十色。誰ひとりとして同じような殺し屋がいない。当たり前のことなんだけど、ちゃんと殺し屋たちのキャラクターやライフスタイルが確立されているリアルが新鮮。多様性、多様性とがなり立てて、登場人物を無理くり同性愛者にしたり、人種を差し替えたりする多様性より、ずっと多彩に感じるし、純粋におもしろいよね。

 終盤、ティルダさま演じるエキスパートとキラーが対峙するシーンで、彼女が語る熊と漁師の話がとても印象的だ。本来やるべきイベントと、失敗して発生したサブイベントが入れ替わってしまう「本末転倒」の譬え話。
 本来の殺しの目的より、その失敗から派生した復讐の方にキラーはのめり込んでいるのではないかって話ね。
 ここでフィンチャーはぼくらが住む世界線に彼らも住んでいるというリアリティを提示しているのだ。請け負った暗殺を華麗に達成する想像の殺し屋ではなく、失敗も撤退も傷心もあり得る現実世界の殺し屋を実在させるという手法。
 キラーは殺しにある種の美学を感じていて、スタイリッシュに暗殺を遂行したいけど、実際には図らずも起こったトラブル(=復讐)の方により愉悦を感じていたように見える。怒りに任せた失敗の修復の方に“生きている実感”を感じていたのではないかと。
 ぼくらの世界では、スムーズに終了したプロジェクトより、アクシデントやトラブルに見舞われながらも、何とかやり遂げたプロジェクトの方が達成感を得られがち。自らのプライドより、家族のためにがんばることだってが多い。キラーもまた家族のための無報酬の仕事の方が充足感を得ていたのでは?
 断言はできないけど、この作品をおもしろいと思う人とそうでない人の違いは、キラーのなかに、(自分を含めた)市井の人を発見でにるかどうかにある気がする。滑稽なのにどこか愛おしくて、応援しちゃう理由ってここじゃない? ちがうか。

 ラスト、パートナーと寄り添う穏やかな表情のキラーの顔面が、一瞬ピクッと引き攣るのを見逃してはいないよね?
 ぼくは、やっと訪れた平穏に早くもストレスを感じ始めているキラーのアンビバレンツな心情を垣間見た気がする。めんどくさい殺し屋に幸あれと思いながら眺めるエンドロールの気持ちよいこと。

うーん、まだ芯を食ってない気がする。可能性の話として、冒頭の暗殺の失敗は、漠然とした殺人衝動を現実の問題として起こすため、わざと外したって解釈も用意してたんだけど、ちょっと根拠が薄くて論じなかったんだけど、この作品、レビューが難しい。もう“へっぽこな殺し屋を愛でる映画!”でいいのかもw

 あ、そうそう、劇中、「綿棒みたいな女」って証言があってそんな奴おらんやろと思ってたが、ティルダ・スウィントンが出てきてめっちゃワロタ。

追記
後日、劇場で再鑑賞。テレビサイズでは取りこぼしてた映像の細部やさまざまな音に改めて感じ入る。この情報量の多さはやっぱり劇場で観ないと味わえない。機会があればぜひ!
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