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台風騒動記のotomisanのレビュー・感想・評価

台風騒動記(1956年製作の映画)
4.0
 台風で豪い被害を受けた富久江だが、やっと戦後ではなくなった程度の日本にはろくな支援が出せない。仮設住宅やら生活・復興支援どころか、やっと文部省の政務次官を突っついて鉄筋校舎の費用を出させるくらいが関の山。それでも一千万円とくりゃあ議会も役場もカネの取り合いで大盛り上がり。盛り上がりついでに酒だ芸者だと浮かれまくって住み家にも困る人たちの事などお構いなしだ。
 実はこのカネが獲らぬたぬきの何とやらで、雲行きが怪しくなると役場と議会がぎくしゃくし始め、国の査察官と食い詰め佐田啓二を取り違えるすったもんだの末、浪人佐田に町の上層部の腐敗を嗅ぎ付けられる。これでも立派な政治サスペンスにならないのは、こんな事は珍しくもないのだから。
 貧乏ニッポン。もともとタヌキなカネだから庶民に回ってくるのはどうせ忘れた頃に決まってる。みんなそう思っているので、芸者遊びの議員も無傷の校舎をぶっ倒す「人災」なんぞも笑い飛ばすしかない。

 しかし、この雲行きもある一点でガラリと様相を転じる。それが、旧軍倉庫に仮住まいする面々の中、武原ばあさんが町幹部の破廉恥ぶりを暴露する佐田に詰め寄る言葉である。高潮に倅が流されていまだに見つからねえ、と言う。
 それまでは羊たちの沈黙を半ば嗤うような佐田であり、観衆だって、どこもこんなもんさと自嘲気味だったろうが、その一言に、これは重大な天災であって、人災の追い打ちを許してはいけない事を思い起こさせる。

 このあと起こるのは、いわば、民主主義の常道というところだ。被災者、青年会、佐田浪人に愚図の菅原ら有志が町内至る所に壁新聞、ポスターを掲げて町政の腐れっぷりと補助金の嘘っぱちを告発する。クライマックスのPTA集金大会が町民集会の場となって、半べそ菅原先生も野添先生も二人でやっと一人前の半分ぐらいの勢いで町政批判を繰り出せば、わけの分からん詰め腹切りの左議長になんとか助役も言うわ言うわ。銅像どころか手が後ろに回りかねない町長の死んだほうがましな体たらくで応援のみんなも溜飲が下がる?

 いや、それで終わっては全く困った事で、次期町議選で革新会派が名乗りを上げるような流れができるかどうかが問題なのである。当時の人間はそんなことも重々承知の観劇に違いない。そして、特高紛いな巡査氏がウロチョロするのを暗い眼で眺め、時代は安保の波をまもなく迎える。
 製造業で戦前水準に戻しただけの戦後の終結であって、いのちや暮らしを守るインフラは整備の道半ば未満。天災はこれから幾らでも起こる。そう思うと、公職に就く誰一人、死者の出たこの事件を直視していないかのような有様に、さもありなん、しかし、自治における民生の不在をその通りと諦めるのか、また、それは天災に限った事なのかと幾重にも自問した事だろう。
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