ryosuke

ターミナルのryosukeのレビュー・感想・評価

ターミナル(2004年製作の映画)
3.9
 派手なバトルなどない題材であってもあくまでアクションで、映像で物語ろうとするスピルバーグのスタイルが貫かれている。空港内のだだっ広い空間を極端に誇張するように引いていく超ロングショットの中で、遂には主人公は観客の視界からも消える。異国の孤独は、いくら言葉を尽くすよりもこれ一発の方がひしひしと伝わる。
 アクション主体のショット連鎖は、スラップスティック・コメディーというジャンル選択の賜物でもある。ヒューゴ・ボスの窓への反射による試着とか古典的なコメディーっぽい描写だよな。主人公の周囲をぐるぐると回転するカメラのロングテイク、エスカレーターにバッグを放り込んで 階段を駆け上がる主人公、スーツに発射されるチップス。電気系統をいじって睡眠に適した暗闇を作り出した矢先に飛行機が放出するスピルバーグ&カミンスキー印の強烈な逆光。
 (とりわけ夜の)空港という場所が映画のロケーションに適していることがよく分かる。広いスペースと複雑な構造、ガラス張りの空間に反射する色とりどりの光。ゲームセンターや遊園地が映画における魅力的な舞台となりうることと同じだろうか。
 トム・ハンクスの熱演ももちろん素晴らしい。どうしても「祖国に戻ることを恐れる者」を自称できないシーン。今夜ニューヨークに行けると思った彼が“tonight?” と尋ねた後、一瞬の沈黙と言葉にならない喜びの声をもらしてから破顔し”ok!” と喜ぶまでの流れなんて実に可愛らしい。
 現代において実質的に国の境目となっている空港という特殊な空間の中で、祖国を失い、世界に張り巡らされた主権国家の網の目から弾き出された男。彼こそが前国家的なヒューマニズムを、スピルバーグの題材を体現するのは実に妥当なのだろう。国家権力やシステムと一人の人間が対立したときに弱い個人の側に立つ決意を示すヤギの便法。彼は大工としての無国籍的な技術で食い繋ぐ。主人公は単なる無法者ではなく、律儀にドアから脱出せずに待っていることもあるが、さりとて制定法を墨守しているわけでもない。これが正しいという直感に従うという、人間本来のシンプルな姿勢をただただ貫いているだけなのかもしれない。
 本作でも特に素晴らしいのが「アポ」のセリフを回収しつつ、空港に仮設的なレストランの特等席を用意するシーン。食事を中断するポケベル、皿回しの失敗。少々間抜けなムードが流れる中で、遂にアメリアが悲しみを露わにした瞬間、クローズアップが彼女をとりわけ美しく捉える。主人公は、二人は来ない連絡を待ち続ける同志であることを表明し、共鳴した二人はポケベルを投げ捨てる。大団円に向かっていく物語の温かい感触。真顔で左手薬指を見せつけるドロレス。「実は既婚者なのよ」かと思ったところで笑顔に切り替わり、プロポーズを受けたことが分かる。
 カミンスキー&スピルバーグは物語の決定的な瞬間において、強烈な逆光とシルエットと化した人物を提示するのだが、本作でその光源となるのはナポレオンの贈り物。二人が抱き合った瞬間に噴水が発動したりするかとも思ったが、スピルバーグはそんな下品なことはしないのだった。
 空港という雑多な空間を体現する多国籍の友情の帰結。システムの前に一人で立つ人間を描いてきた本作において、罪を清算しようとする男はどのように動くべきなのか。巨大な航空機と小さな老人の対峙を捉えた二つのショットは、その主題を何よりも雄弁に語り、男は「アポ」のセリフを再度回収してみせる。
 遂に目前に夢のアメリカが迫る。ドアの先に見えるアメリカは、行き交う通行人以外は完全に白飛びしており、抽象的な空間として映っているのが何やら感動的だ。あとは相応しいタイミングでまたも逆光が映画を彩れば十分だろう。最後のサックス奏者を輝かせる舞台照明、あるいは、ニューヨークの象徴であるイエローキャブに乗り込み、無国籍者としての一時の神話的な役割から解放され、祖国を取り戻し、帰還を宣言する主人公を背後から照らすヘッドライト。
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