優しいアロエ

お早ようの優しいアロエのレビュー・感想・評価

お早よう(1959年製作の映画)
4.6
〈時代の中庸へと足を踏み出す小津晩年の傑作〉

 まずい。小津を適度に摂らなければ生きていけない体になってしまった。そんなことをいつか言ってみたかったのだが、本当にそうなりつつあるから困る。U-NEXTは小津作品の宝庫だから、大切に消費していこう。
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 閑話休題、小津のカラー2作目となる本作『お早よう』は、郊外の新興住宅街で送られる群像劇コメディだ。小津の代名詞である写実主義の絵画のような撮影美はカラーだとやや緩慢になっていたが、小津もそのことを熟知してか、肩の力が抜けるような仄々としたコメディに切り替えることで物語と映像スタイルの息を合わせてきた。(とはいえやっぱり美しい)

 この新興住宅街は、戦後日本の急速な洋風化・利便化の縮図となっている。ただし、大人たちはその波に乗れずにいる。三種の神器の登場に対して「あまり便利になりすぎるのもねぇ」と躊躇ったり、ハイカラな雰囲気を醸す若者家庭に懐疑的だったりする。それらは2020年代を生きる我々からすれば何とも微笑ましいのだが、〈時代にしがみつく大人〉〈次世代に流される若者〉という構図は現在にもよく当てはまるだろう。

 そして、少年がひょんなことから口にした「大人の挨拶だって無駄だい」といったセリフ。これがまた大人と子どもの絶妙な齟齬を暗示し、タイトルの真意にもつながってくる。当時50代後半、年齢からすれば明らかに〈時代にしがみつく〉サイドに在籍する小津は、たしかに無駄を愛し、漫然とした時間の流れを名残惜しいとしつつも、次世代との落とし所を模索していく。

 終盤、白黒テレビをついに購入した父親と子どものやりとりは凄まじい多幸感だった。諦念をもって結論へと運び、そこにきちんと幸福を見出すのが小津作品のすばらしさだろうか。
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 佐田啓二は中井貴一の早逝した父親なのね。たしかに似ている。
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