Oto

エレファントのOtoのレビュー・感想・評価

エレファント(2003年製作の映画)
3.8
群像劇×人物のTrackingという斬新な表現。企画中の作品の参考で薦めてもらって観た。

人を追う過程で自然に主体が移っていくのかっこいい…。食堂の女子3人組を一度離れてもう一度帰ってくるのとか、廊下の反対側からお互いの視点で挨拶を撮ったりとか、観たことのない撮影。

誰の視点なんだろうと考えると神に近いものだと思うんだけど、それでもすべてをお行儀よく明かすわけではなく、情報の順序や範囲がしっかり設計されていて、終わり方も潔い。

時系列がわからなくなっていくときには特に快感を覚えて、パルプフィクションに近い、散在型のタイムラインを味わえた。適度のわからなさが人は気持ちいい。

一般の生徒を起用しているらしいけど、エキストラの量もすごいし、要素を回収することを諦めているところにこそ面白さがあるというか、「普段通りの日常が突然終わってしまう」ことをかえって強調する効果があった。

今泉作品と共通するような、普通なら映画で切り取られるようなものではないシーンに尊さがある、トイレでダイエットのために吐いたり、写真のモデルを頼んで現像したり。

ダサいと言われていた図書委員の女の子の描写もすごく効いてた。犯人の「いじめの対象は俺だけじゃないぞ」って台詞の強度がかなり大きくなったと感じた。

かと言って、いじめはやめようね、という簡単なお話にはしてなくて、あらゆる生徒がなんらかの辛さを抱えているのがリアル。アル中の父親のせいで遅刻したのに自分が責められる、私たちより彼氏を大事にするなんてと友達から責められる、恋人以外と目が合うと嫉妬で相手が傷つけられる…。

些細なものでもそれがみんなにとってはすべてであったりして、その積み重ねが取り返しのつかない事件を生んだんだなぁと感じた。だから、ジャケットにこのシーンが選ばれているのは適切だなぁ。

想像力を働かせて寄り添える人がいなかった、自分が傷つけられるのが怖くて見て見ぬ振りをしていたこと(エレファントインザルーム)が問題なのはたしかだけど、じゃあどうすれば良かったかなんて簡単にはわからない。

直接いじめを受けたジョックへの怒りはまだ腑に落ちるし、その状況を無視して揉み消そうとした校長のような存在への怒りも真っ当に思うけど、それが無差別的な社会への怒りへと変わり、究極の自暴自棄へと至るのはなんとも恐ろしい。

自己顕示や支配欲として自分の存在証明の術がそれしかなかったということもあると思ったし、或いは誰も気づいてくれないことへの怒りや寂しさもあるんだろう。シャワーでのキスシーンが切ない。

犯人の二人だけは学校の外である自宅を拠点としているのが象徴的だけど、たしかに学校って「不条理を受け入れる癖をつける場所」という側面があるなーと観ていて思った。嫌いな給食も食べ、苦手な子の隣で勉強して、逆らえば怒られる。馴染めない子がいるのも尤もな環境で、優しさと厳しさについて考えてしまう。

元の事件でも他の生徒に隠れているように指示を出した子がいたらしいけど、その勇敢さが評価されて、真似する人が増えて…という世界にしていきたい。いじめる側が悪なのはたしかだけど、加害者を理解しようとせず断罪するだけでは変わらないと思うし。

ワンシーンワンカットで田舎の学校を描く&クラシック音楽を多用しているという点で、僕はイエス様が嫌いと近いものを感じたけど、テーマの一つとして「世の中の不条理」もあるなと感じた。もちろん犯行は許されたもんじゃないけど、彼らに100%の責任があるとは言い切れなくて、社会の歪みとかが丸々のしかかったというようにも見えた。

親しいスタッフと自由に撮るためにあえて低予算を選んだという話を聞いたけど、その「自主マインド」ってめちゃ大事だなぁと思う。お金を出してもらって不自由になるくらいなら、自分でリスクを背負って挑戦することを選びたい。というか、技術的には自分でも撮れそうなくらいで、結局アイデアだなぁと改めて思う。

元の事件があるから結末がわかっていて、どのシーンも非常に不穏に感じられる。脚本では全シーンが+から−、−から+への変化が必要と言われるけど、そんな起伏はなくて、映画のルールを壊しているのが革新的。

広場での音響、現像中の暗闇の表現、ナチスの番組、エリーゼのために、印象的な技術も多いけど、やっぱり一番は廊下で撮影するシーン。すべてに整合をつけようとしてしまう癖があるけど、そうじゃないんだな、ずっとピントが合っていても、人はそれに興味を持たないんだなということを思った。

主体じゃないものにずっとピントが合っている映画とか、観客に気づかれずに同じ時系列を違う目線でループする映画とか、作れたら面白いのではないかと思ったり。
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