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テキサス・チェーンソーのBigsのネタバレレビュー・内容・結末

テキサス・チェーンソー(2003年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます


『悪魔のいけにえ』リメイク版初鑑賞。

監督はドイツのマーカスニスペル。マイケルベイに招かれて米国で本作を監督したようだ。

以前から良い評判を聞いていたけど、なるほど面白い。

〜ほんとは怖い『悪魔のいけにえ』〜
オリジナル版1作目にあった、ソーヤー家のある種のチャーミングさや面白さのようなもの(2作目はその部分をかなり拡大している)が今作には全くなく、残虐描写も直接的に見せるので、只々陰惨で陰鬱として救いがない(オリジナル版は、そのチャーミングさは下衆さや卑近さと繋がっており、それ故の恐ろしさや不快感があるのだけれど)。一家もソーヤー家からヒューイット家に設定が変わっていて、また違った方向のダークなパラレルワールドもしくは実録版を観ているようだった。

ヒューイット家の人々。レザーフェイスは、オリジナル版にあったイノセンスみたいな物が究極的に突き詰められて、対話不能で容赦のない、圧倒的な暴力装置のように思え、めちゃくちゃ恐ろしい。犠牲者の男のマスクを被った姿を見せた時のショックさ。
そして、なんと言ってもレザーフェイスと同じくらいの存在感を放つのは、Rリーアーメイ演じるホイト保安官。このリメイク版2作の魅力の大部分はこのキャラクターに依るものと言ってもいいかもしれない。このキャラクターがほんとに不快で、父性的或いは男性的なるものの嫌さが凝縮されていた。閉じた狭い関係性の中での強権的・高圧的な態度や、容赦ない暴力性、恐ろしいまでの雑さ、そしてしっかり下劣で下品でもあるという。登場してすぐの唾吐きでもう不快感が頂点に。死体処理のために若者の男2人に高圧的に振る舞う態度。「若い頃は女の死体が好きだった」という悍ましい言葉と、その上で死体に対して行う下劣な手の動き。車中で若者の1人を追い詰めるような尋問も不快で物凄く圧迫されるようだった。普段も普遍的に見られるようなローカルな空間での男性的な暴力性を見せつけられるようだった。また、田舎の保安官というのも、例えば『ランボー』の保安官のような、閉じた空間の中だけでは頂点にいるからこそ発揮される暴力性のようだった。(『ランボー』は保安官の世界の外側にいる、遥かに強い暴力を操る男ジョンランボーとの衝突だったわけですが)
『悪魔のいけにえ』の本質としては、閉じた空間の中(田舎、テキサス、そしてあの家)で、そのまた閉じた世界(この一家)に取り込まれ、理不尽極まりない扱いを受けるという話だと思っているが、それは広く考えれば個人が社会の様々な組織に属したときに受ける暴力と基本的に類似のものだと思う。そういう意味で、今回のこのホイト保安官は、社会の一つ一つを構成する閉じた世界での暴力性を凝縮したような人物だった。例えばビギニングで描かれる軍隊もどきのような。
他にも、近所に住む人がグルだったのも、閉じた世界という解釈が家の中だけに限定されず、より恐ろしさが増した。『ブレーキダウン』とかを思い出す。

若者グループの眼鏡の男は、終始自己中心的で、でも観ていくと危険から逃れるためには彼の選択がことごとく正しいという展開が続く。対して主人公は正反対で利他的な行動をとることでどんどん悪い方へ向かって行ってしまうのだけど、でもラストも赤ん坊を救うという選択をしていて、あの家族とは対照的な人間の善良性みたいなものが際立つように思った。

ヒッチハイクから始まったり、ラストは車に轢かれたり、とオリジナル版を連想させる。
自殺したヒッチハイカーの穴が空いた頭から車のガラスまで弾道の軌跡のような悪趣味なカメラワーク。ちょっと『オールドボーイ』の餃子屋のカメラワークを思い出した。
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