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ボーはおそれているのBigsのネタバレレビュー・内容・結末

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます


なんか、トラウマや抑圧、罪悪感、被害妄想等、色々抱えている人から得た証言を映像化したような映画だった(それは監督自身からのものかもしれないけど)。冒頭カウンセリングから始まるというのもあり。なんなのこれと言いだしたらキリがない。生々しい実情も反映されていながら、でも全体的には突拍子もない悪夢のような妄想のようなトリップが続く。

①有象無象が蔓延る混沌とした日常、②喪失を経験しながらもそれを取り繕うような家族、③理想化されたような如何にも物語的な人生や家族の演劇、④悪夢のような実母との再会と、大きく4段階のフェーズに別れていた。

全体的に家族(特に対母親)への確執や蟠り、植え付けられた性交への禁忌視・恐怖心、支配・制御されることによる抑圧が描かれていたように思う。

冒頭からギア全開なカリカチュアされた世界が奇妙だし面白い。ボーが恐れ忌まわしく思ってる外の世界は、初めの夜は荒廃した世界に見えるけど、家に入ってくる所はサンバみたいなリズムがかかっててなかなか楽しい奴ら。
帰る時のダッシュ、騒音濡れ衣のメモ、毒グモ、母親の怪死を伝える電話(もう一回掛け直させる)、風呂の男、路上に放置された死体、全裸の殺人鬼。

第二部の裕福な家庭での保護。戦死した息子がいて喪失があるのだけれど、何かそれを取り繕うような謎の家族に息子代わりのように保護される。娘の放置されっぷり。息子の遺影でパズルをするのは酷くて笑っちゃったけど本当にあるのか。息子の戦友も何故か一緒に(?)庭に住んでる。娘がペンキがぶ飲みで死んじゃってからは母親が一方的に責め出す一皮剥けばな展開。

第三部は、世俗から離れたような演劇コミューンでの劇中劇。ボーが女性と出会い、子供を儲けるが、災害で離れ離れになり、再会するというわかりやすいような物語。でも性体験がないので誰が父親かと我に帰る。性体験への恐怖心や植え付けられたトラウマから、そういうわかりやすい物語にも乗れないような。
演劇と観客の境界を曖昧にしたいというのは本作では重要なセリフのような。
本当の父親の存在。

第四部は、実家に戻り母親の葬儀、エレインとの再会、母親との再会。
エレインとのシーンはまたなんちゅうものをという感じ。行為前のやけに積極的な感じも怖いし。行為中に絶頂を迎える時、やめろと拒否するのは、性交によって死ぬと教えられてきたトラウマや恐怖心もあるだろうし、そうじゃなくてもあの絶頂のときにこのまま意識飛んで死ぬんじゃないかと思う感覚は割と普遍的なんじゃないかという気も(という勝手な共感)。でも死ぬことはなくてええやないかとなってたら、エレインの方が固まってるという。まあ演出的に絶対何かあると思うけど、あんな急に固まってるのは笑ってしまったし、やっぱり怖い。
そこからは、母親との悪夢のようなやりとり。電話の対応から怖さが滲み出てたけど、そんなのが霞むほどのヤバさ。セックスを見ている、死んだように見せかけ、子供のボーからの仕打ちを列挙、心情を盗み見るためのカウンセリング。自分は愛情を与えたけど息子は期待通りに返してこない。全てを支配・制御するような強権的な母親。途中遺影等と一緒に母親の会社の資料が展示されていたが、ボーを広告に使ってた?、母親の顔が従業員で構成されているがその中にエレインや途中の外科医もあった。これまでの旅路も外科医の家とかは仕組まれていたんじゃないかという気もしてくる。
トラウマとなってる屋根裏部屋。そこに出てくる怪物(ちん獣)は、あまりに直接的でチープにすら映るが、母親が植え付けたセックスや男性性への恐怖心の具現化のようにも。男性的なものから遠ざかるように制御されてたというか。屋根裏にいたもう一人のボーは子供の頃に去勢された精神か。
ラストのボートは、冒頭胎内視点から始まったのと繋がるように、また産道を通り子宮と羊水に戻るようだった。その中での裁判のような母親との再対峙。これは、他人から指摘されてるというよりは、寧ろ何故関係が上手くいかなかったのか、自分の汚点を思い出し、でも事情があったと後悔しながらも言い訳しているような。子宮に戻ることから産まれてきたこと自体への後悔や罪悪感、強烈な自己否定ともとれる気も。

強権的な母親に支配されるボー。これは、これまでのアリアスター作品の外側から制御されているような感覚(逃れられないシナリオに則って進んでる感じ、ヘレディタリーのドールハウス構造、ミッドサマーのタペストリー、作り手の強い制御を感じる演出)ともマッチした物語であるとも思う。

あと、ガラス一枚隔てて見ていた混沌や暴力がこちら側にやってくるような描写がいくつかあり(第一部の外の人々や、第二部のドゥニメノーシェ)、また第三部では観客(=ボー)が劇中劇に入り込むような描写がある。アリアスターの、映画の観客に強く刻みつけたい=映画を飛び出して観客の心理に侵食させたいというような狙いとも関係するような。「観客と演劇の境界線を曖昧にしたい」という台詞もその表れのように思う。第四部ラストのエンドクレジットの場面は、我々映画館の観客席も含めてあのドーム型の空間が完成するようにも思うし。

無茶苦茶な展開のところは、全て一応理由があって飛んでるように見えるのも面白い(向精神薬の服用、毒グモに刺された?、マリファナを吸った、演劇を観ている、性交の絶頂)

屋根裏部屋はヘレディタリーにも出てくるモチーフ。首のない死体は、ヘレディタリー、ミッドサマーにも共通するモチーフ。

密室での見せ場が多いからか、舞台出身俳優の出演が多い。
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