Fitzcarraldo

ジョニーは戦場へ行ったのFitzcarraldoのレビュー・感想・評価

ジョニーは戦場へ行った(1971年製作の映画)
1.0
第24回カンヌ国際映画祭(1971)審査員特別グランプリ受賞したダルトン・トランボ脚本監督作。

ダルトン・トランボの反戦小説"Johnny Got His Gun"(1939)が反政府文学とされ発禁処分に…戦後に復刊されるも朝鮮戦争でまた発禁になる。

時代よりも早すぎた強い反戦性に、なかなか出資が募らず、初版から数えて30年を経て遂に自身の手で映画化へ…。

だが…本作は映像化には不向きだと感じる。
手足がなく目から下もない全く動かない人物の内的独白が、そもそも映像化に向いていない。顔には大きめのマスクのようなものに覆われて身体全体も布に覆われている。強引な言い方をすれば白い布でしかないのに対して、独白は至って普通のジョーのまま。幽体離脱をしているような感覚というのか…その白い布が、あまりにも人間に見えないので、ジョーの独白とその白い布の中の人が剥離してしまう。

白い布の中の人間に全く興味が持てないので、その後にキリストが出てきたり、これは夢なのか、これは回想なのか、こうなりたいという夢想なのか…よくわからない映像がインサートされても同様に興味がもてない。なんか理解できない。ただただ退屈で眠くなる…

ルイス・ブニュエルが脚本に影響していると、町山氏は言っていたが、それだ!恐らくブニュエルが自分と肌に合わない。ブニュエルの作品は全部見たわけじゃないが、大概寝ている気がする。

「言いたいことが言えない。言いたいことを言っても潰されてしまう、まさにダルトン・トランボ自身が赤狩りで味わった体験を、手足が奪われて口がきけないジョーに重ねている」と町山氏は言っていた。

言わんとしてることは十二分に分かるのだが…それを映像で伝えるのは難しくないか?
これで多くの人に伝わっているのなら自分の映画的教養がないのか…

そもそもモノローグが多い映画は小説向きというか、映像にする必要性を余り感じない。映像で語れよ…と思いがち。話せないから仕方ないのだが内的独白ばかりの本作と夢だか何だか分からない世界観は頭が悪くて理解できない。
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