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華氏451のkaneのレビュー・感想・評価

華氏451(1966年製作の映画)
3.0
そこがたとえディストピアでもディストピアであることに気付かなければディストピアとは呼べない。
ディストピアでない場所との相対的な視点があって初めてディストピアが生まれる。
この世に一つのディストピアしかないのならそれはディストピアではないのだ。だから情報統制して思考能力を奪うなどして管理してしまえばよい。そうすれば、彼らは自分がまさかディストピアの真っ只中にいるなんて思うこともできないだろう。

この作品でいう相対的な視点がまさに「本」。単に英知の蓄積というわけではなく、目の前の世界を相対的に判断する指針でもある。だからこそ、政府は焚書を行うし、ある人々はそれを守ろうとする。最もヤバいのは焚書という行為自体ではなく、ディストピアにいるという自覚を持たない者たちだ。

無自覚のうちに自由を奪われている人は不幸だ。そう考えることもできるが、当人たちは奪われていることに気づくこともできていないのだから別に不幸とも言えないと思う。現にあまり不幸そうには見えない。無論、そこが恐ろしいところでもある。
ディストピアを形成しているのは相対的視点である「本」だとも言えるだろう。

当時の時代がどうだったかは知らないが、あまりにも本を高尚なものとして扱い、テレビを低俗なものとして決めつけていることに納得がいかない。いや、僕が今まさにディストピアにいることに気付けていないだけなのかも…。
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