ジョージア映画祭13本目。
大体いつもどんな映画を観ても10分くらいは眠ってしまう俺なのだが、今回は結構長めにスヤスヤしてしまった。どんな映画でも寝るから面白かたっとかつまんなかったとかは関係なく、ただ単に眠かっただけであろう。しかし、この『ピロスマニ』という作品は映画自体が結構ぶつ切りにシーンが飛んだりしていたのでぶっちゃけ起きてても寝ててもあんまり印象が変わらない映画じゃないだろうかとも思う。ちゃんと観た人に「いやそんなことないよ」と言われたら返す言葉もないが、俺がウトウトしながら観ていた感じでは断片的なエピソードの積み重ねで語られる物語っぽい感じだったのでわりと気軽に観られる映画だったなーという感じでしたね。
お話はまずその内容よりも『ピロスマニ』というタイトルが引っかかると思うがこれは人名であり主人公の名前です。要は伝記映画的な感じでピロスマニさんの人生を描いた物語ということです。んでそのピロスマニさんなんだけど彼は19世紀半ばから20世紀前半を生きた画家らしい。ジョージアの文化とか伝統とかを色濃く受けてその思いを自作に重ね合わせて画を描いた人なのだという。そして画家にはありがちなことだが経済的には成功せずに生涯を清貧な生活…と言えば聞こえはいいがド底辺の貧乏生活で送ったのだという。まぁそういう人の伝記映画ですね。
お話としては大きな名声は得ないものの(なんでもピカソはピロスマニの画を絶賛したそうだが)画を描き続けるピロスマニの姿をある種の殉教者のように描き、俗世では生き難かったであろう清冽な人物として浮かび上がってくるようになっているのだが他のジョージア映画にもよくあるようにストーリー的な盛り上がりには欠けるので娯楽映画的な面白さはそんなにない。でもただ清く正しいだけの人物ではなくてどこかしら斜に構えたところがあったり、どうせ俺なんか…と自己憐憫を拗らせたような後ろ向きなところがある面も描かれているので一人の人間としてのピロスマニという人の魅力は結構ちゃんと描かれてるんじゃないかなと思う。
なのでまぁ、伝記映画としては結構面白かったですね。といっても俺はピロスマニという人のことを全然知らないのでどれくらい正確に彼の人生を描いたのかは分からないのだが。
あとはあれだな、ジョージア正教(ざっくり言えばキリスト教)が大多数を占めるジョージアに於いて、本作のピロスマニの経済的に報われずに生活的には困窮しつつも清貧なまま画業続けたという姿をイエスに重ねているというのはあるだろう。自分の人生を切り詰めながらも他人の人生に寄り添えるような作品を描き続けた姿というのはある種の聖人のようにすら描かれていると思う。でもこれもジョージア映画の特徴の一つっではあるが、そういう画業に殉じた男のお話しだとしてもあんまり堅苦しい感じじゃなくてどこか緩い雰囲気があったのが好きでしたね。
声出して笑っちゃったのはニカラ(主人公のあだ名)がジョージアの祝祭日、要はお祭りの様子を描いた画を依頼されるのだが彼が画に集中できるように依頼主は彼を軟禁するんですよね。いわゆる缶詰ってやつ。んで二日か三日経ったらドアを開けるからそれまでに画を完成させといてね、ってなるんだが依頼主が祭りに夢中で画を依頼したことを忘れちゃうのね。多分依頼から四日くらい経ってから「あ! ニカラのこと忘れてた!」ってなって急いで彼を軟禁していた部屋に行くと彼は画を描き上げていたのだが恐らく食事も摂っていなかったので床にぶっ倒れてた、というシーンは酷すぎて声出して笑っちゃいましたね。ちなみにその画自体はブリューゲルの風俗画みたいでめっちゃ良かったです。
まぁでもそういうのジョージア映画ではよくあるんですよ。良くも悪くも適当で緩い人たちが多いので、きっとそういうのはジョージア・ジョークということなのだろう。画業に殉じた聖人的なだけじゃなくてそういう下らなくて俗っぽい世界がキチンと描かれてるのが良い映画だなーって感じでしたね。そういうとぼけた笑いどころがあるのが好きなんですよ、ジョージア映画。面白かったです。