Ricola

眠り姫のRicolaのレビュー・感想・評価

眠り姫(2007年製作の映画)
3.6
上映後のトークショーにて諏訪敦彦監督が「自己が分裂していく感覚の映画」だと言っていたが、まさにそういった感覚に陥る不思議な作品であった。


私たちが映画を観るときには、主体としての自己と客体としての映画という構造ができているはずである。いくら私たちが作品内の登場人物に感情移入をしても、無論自己とそれの間に境界線があることを認識したうえで作品を鑑賞しているはずである。
しかしこの作品の場合では、肝心の登場人物を視覚的に捉えることが難しい一方で、ざわめきや物音、会話はしっかりと聞こえてくる。

俳優が動いて演技をする様子を「見せる」作品ではないため、「人」はほとんど映らないのだ。
「誰もいない」環境がスクリーンに広がるが、声や周囲の音が自分の脳内を通して響き渡るように、音声が層を成して聞こえてくる。だからといって、聴覚にばかり集中すべき映画というわけではない。

そのように特に感じられるシーンの一つがある。
灰皿にまだ長いタバコが立てかけてあるショットから始まる。そのタバコからは、白い細い煙が天井に向かって伸びている。
女性のあえぎ声の波に呼応して、プラプラと不安定な動きを続ける一本のタバコ。彼女が絶頂に達したらそれがくらっと倒れて灰皿から落っこちる。
彼女の動きや快感の波をむしろわかりやすく可視化したシーンなのだと思う。

そこに見えない人物を想像して、もしくは自分を作中に置いて観てしまう。
さまざまな人物が現れるなかで、観客は自己をそれぞれの人物に移し替えながら観ていくことによって、自己が分裂していくのではないだろうか。

映画の表現そのものの可能性はもちろんだが、それ以上に映画と観客の関係の可能性について改めて考えさせられる作品だと思う。
Ricola

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