〈涙を流し、訴える者。すべてを荷い、受ける者〉
初ロベール・ブレッソンだったので緊張したが、なかなかよい滑り出しとなって安心した。やっぱり映画監督との初対面はその後のモチベに大きく関わるからドキドキする。説明は端折るしロバは虐待を喰らうしで序盤は微妙に感じたけど、いつの間にかのめり込んでいた。
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小さな村落に世界を濃縮し、ロバと少女を通して人間の醜悪な部分をあぶり出していく。純粋無垢な精神が悪意に捕食されるさまが容赦なく描写され、救済は最後まで訪れない。にもかかわらず、本作が絶望一色に染まっているかといえばそうでもない。淀んだ世界をどこか緩く笑うような態度で見つめている。ここに本作の魔法“居心地悪くなさ”があるのではないだろうか。
涙を流し、反論する少女マリーが通常の「被害者」だとすると、ロバのバルタザールは何をされても「被害者面」せず吸収してしまう能天気なところがある。バルタザールは人間を「人間外」の立場から傍観するはたらきを持つとともに、暴力や搾取に見舞われる陰惨な局面すら緩和させ、「ダメだな〜人間はw」と僕らに笑いながら諦観させるいかにもロバらしい力を発揮していたと思う。
ロバと少女はほとんど同じような役回りなのだが、どちらも欠けてはいけない。悪意への厳しい批判としての少女のリアルな悲哀の表情、そしてその絶妙な緩和剤としてのロバの鈍感さが、奇跡のバランスを生んだのではないだろうか。