優しいアロエ

大人は判ってくれないの優しいアロエのレビュー・感想・評価

大人は判ってくれない(1959年製作の映画)
4.2
 短編『あこがれ』に続く、フランソワ・トリュフォーによる少年映画。分析傾向の『あこがれ』とは趣の異なるドキュメンタリックな作風。学校を抜け出してミニシアターに潜る主人公ドワネルは、トリュフォー本人の投影とされる。

 本作が『火垂るの墓』や『存在のない子どもたち』を彷彿とさせるのは、主人公の「強かな少年」という造形、そして「現実からの逃避行」という共通したテーマからだろうか。
 現実逃避と云えば、『勝手にしやがれ』をはじめ、ゴダール作品にも一貫したテーマだと思うが、同年公開の本作もまた、少年の逃避行がテーマとなっている。
 ドワネルは子どもだから、現実を変える術を知らない。自分でもどうすればいいかわからない。そんななかで、なんとか大人たちに変わってもらうための方法こそ、「非現実を大人に突きつける」=逃げ出すことだったのではないだろうか。あれを単なる反抗期の過ちなどとは思うことができない。『万引き家族』で祥太が半意図的に警察に捕まったのと近いかもしれない。

 また、本作は街中での撮影が大半ではあるが、施設行きの車で見せた涙であったり、霜の降りた舗道を左から右へと駆けるところだったりと、鮮明に記憶に残るシーンが多いのも魅力だと感じた。こちらに委ねるラストも好みだった。

 ただ、大人たちの畜生っぷりにシラけてしまったのも確かではある。悪がハッキリしてしまうと少年の葛藤に重みが出ない。もちろん、時代背景の違いもあるだろうから、当時から見るとあの大人たちもそこまで極端な悪というわけではなかったのかもしれない。
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