Kamiyo

小早川家の秋のKamiyoのレビュー・感想・評価

小早川家の秋(1961年製作の映画)
4.0
1961年 ”小早川家の秋” 監督小津安二郎
脚本 野田高梧  小津安二郎

東宝で撮られた小津映画。鎌倉のかわりに京都・伏見?
あたりが舞台で主なキャストが関西弁を喋るだけでなく雰囲気が少し違います。森繁久弥は、違う。。やはり。

庭に植えられた真っ赤なグラジオラスはじめ、色彩のコントラストがパキッとシャープ、シャープ過ぎると感じるせいかも。

冒頭、いきなりバーのカウンターでグラスを傾ける実業家らしき森繁と加東大介のツーショットから入るので思わず東宝の社長シリーズと間違えてしまう。
森繁と原節子の「お見合い」場面である
森繁がOK!OK!OKであると。。。加東大介言う
ここで森繁が吸っていたのが「マルボーロ」・洋モクだ。
この後酒屋の店員六太郎(藤木悠)に箱ピースを吸わせるあたり流石の演出です。。
宝田明は、ものの10分も映ってはいない。

造り酒屋の小早川家の当主、万兵衛(中村鴈治郎)も65歳になり、娘の文子(新珠三千代)の夫、久夫(小林桂樹)に仕事を任せ、万兵衛は末娘の紀子(司葉子)と長男の妻秋子(原節子)長男は病にかかり、去年に息を引き取ったのだった。長男は酒造を嫌っていたので、阪大の教授をしていた。
娘の紀子はともかく、息子の妻だった秋子も早く嫁に行かせたいようだった。

実質的な主人公は造り酒屋の主人の小早川万兵衛です
中村鴈治郎が見事な演技を見せます
その周囲に様々な女性が衛星のように巡る物語です
関西を舞台に東宝のスターを使った特番的風情ですが、そこは小津監督です。大満足のクオリティで圧倒されます

とにかく新珠三千代(奈良出身)が素晴らしく、
彼女が圧倒的な存在感を放つ、彼女の持つ気品と気位がピタリとはまっているのでしょう
新珠と雁治郎の丁々発止のやり取りで全てお見通しの
新珠の口撃に対する雁治郎の切り返しが面白い
原、杉村、司葉子など松竹の女優の中で、一歩も引けをとることなく、ついつい万兵衛に辛くあたる娘の役を演じている。川島雄三の「洲崎パラダイス 赤信号」でも見せた勝気な女性、それを後悔する女性を見事に表している。
小津監督の作風に大変にマッチしています

秋子(原節子)41歳
「人間って、品行は直せても、品性は直せないものよ。」
原節子が、しみじみ言います。
まだまだ十分に美しいです
ですが流石に娘役はもう無理で、大きな子供のいる後家さんの役で司葉子の相談相手という脇役としての登場です
原節子と小津監督のコンビは本作が最後となりました

圧巻なのは昔の女 佐々木つね(浪花千栄子)・・・・
あの、何とも言えない柔らかい物腰の裏にあるあっけらかんとした「非情さ」京女の笑顔の裏にある「計算高さ」。。。。。。。。娘の百合子(団令子)に、
「あたしの小さい頃、もう一人お父さんいたじゃない?
 あの人、本当にあたしのお父さんなの?」と訊かれて、
「そんな事・・・どっちでもええやないの・・・」
さりげなく、凄いこと言ってます・・・
でもね、一番凄いのは、万兵衛その人なんですよ。
万兵衛(中村鴈治郎)(玉緒のお父さん)演じる
この男は、まさにイキで洒落てる男なのだ。
「も~え~か~い~・・・も~え~よ~」のシーンは、
大爆笑でした。

杉村春子もいい味は相変わらずで、万兵衛の妹だろう。
彼女は葬式の席に現れるや否や死んだ万兵衛の不謹慎な悪口を矢継ぎ早に連発する。「前に倒れた時に死んじまったらよかったんだ」と そうかと思えば「…でも本当に死んじまったら終わりじゃないか」と不意に涙を流す。
この緩急がたまらない。
それにつられて長女の文子が涙を浮かべるのも素敵だ。

万兵衛の破天荒な生き様と死に様を目の当たりにした次女の紀子が「自由に生きてみたい」と言って想い人の暮らす北海道へ行くことを決め、それを長男未亡人の秋子が「私もそうするのがいいと思ってた」と鼓舞するシーンは少し切ない。既に子持ちの秋子は少しばかり胸中にわだかまっていた夢と欲求を、若々しい紀子の決断に一切合切明け渡す決心をしたのだと思う。

観ているこちらが可哀想になるほどに、万兵衛の死を囲む人々は淡々としており、悲哀よりも笑いを誘う。
ラストシーンは爽やかな秋晴れの空だというのに終始不穏なBGMが流れていて怖かった。火葬場付近の水場に集まるカラスたちも何か不吉な予示のように思えた。
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