Fitzcarraldo

真昼の決闘のFitzcarraldoのレビュー・感想・評価

真昼の決闘(1952年製作の映画)
2.5
第25回アカデミー賞(1952)主演男優賞、編集賞、劇・喜劇映画音楽賞、歌曲賞の4冠に輝く西部劇嫌いのための西部劇といわれた、赤狩りの暗喩と皮肉をたっぷりと含んだハリウッド暗黒時代の大切な記録。

赤狩りの裏設定なんて言われないと全くワカラナイ…これは町山氏の解説で熱く語られているので、そちらを是非聞いてほしい。

物語の時間と、実際に進む時間に然程差がないというリアルタイム映画の傑作と言われている。
これを考えたのが脚本のCarl Foreman。
赤狩り旋風がハリウッドに巻き起こるなか、誰も弱き者を救おうとしなかったことに端を発してこの脚本を書いたカールフォアマン。

当初、原作というものはなかったのだが、脚本を書いた時点で、どうも似たような話が小説であるので、訴えられる前に先に映画化権を買って、その後に原作に脚本を近づけたという…

Crosby, Stills, Nash & YoungのDavid Crosbyのお父さんであるFloyd Crosbyが撮影監督。

音楽は西部劇の帝王であるDimitri Tiomkin。
主題歌の"The Ballad of High Noon"が歌曲賞も取り流行したんだとか…歌詞が映画のストーリーを語っているのだが、初見では何のことかワカラナイからねぇ…


当時すでに落ち目であったGary Cooperであるらしいが、それは腰をやってしまってアクションができなくなったのと、妻子持ちであるにも関わらずPatricia Nealと不倫関係に。(当時クーパー46歳、ニールは21歳)クーパーの妻はカソリック信者で離婚に応じなかった為、子供を中絶せざるを得なかったと…。このスキャンダルで落ち目になったとか。

スキャンダルひとつで落ち目になってしまう人気商売の大変さは、いつの時代も変わらないのか…


製作段階から歳の差が離れすぎているということでキャスティングミスだと言われていたらしいが…

実際にグレースケリーとSEXしてたと嬉しそうに語る町山氏。なんでそんなこと知ってるんだ?



クエーカー教徒
プロテスタントの主流派に属しているが、多くのクエーカー教徒たちは、自らの教義をプロテスタントでもカトリックでもなくキリスト教第3の教義だと考えている。

これはユダヤ教を暗喩しているらしい。

セリフで言ってるわ…

冒頭部分

ゲイリークーパーとグレースケリーの結婚式。歳の差があり過ぎて気持ち悪い。30も上!なんか身売りしてるみたいでイヤだね。しかも、前段が全くない状況で、いきなり結婚式から始まるから関係性が見えず、まさに身売り感が漂う。

女性の地位が蔑ろにされてるような感じがして、不快である。

ジジイがキスをねだってんじゃねぇ…

茶番劇。慌てて町を出といて、やっぱり戻る。
この変り身の早さ…呆れてしまうほど唐突だし、心情の変化に至る理由も、「これまで逃げたことはない」という訳わからないもの。

それくらいなら、初めから町に残っとけよ!

彼女のために町を出たんじゃねぇの?
なのに、自分のためだけに戻るの?
逃げたことないという一点張りだけで?


町に戻ると…

ウィル
「仲間と一緒に僕を捜しに来るはず」

エイミー
「だから逃げましょ」

ウィル
「平原で二人のところを四人組に追われたら?」

エイミー
「1時間あれば…」

ウィル
「どうせ追いつかれてしまう」

何の根拠で言ってるの?

ウィル
「一生、逃げ続けるのか?」

何の根拠で言ってるの?
なんで向こうの気持ちが分かるの?

その男は心底で俺を憎み、地の果手まで追いかけてきて、絶対に復讐してくるんだ!そういう男なんだ!という自分と相手との関係性を見せないと全く説得力がない!ただ上っ面の言葉だけで語ってるだけだから、阿呆にしか見えない。
エイミーが至極真っ当なことを言っていると思うのだが…

女囚さそりシリーズの梶芽衣子級に復讐心を増幅させてる人間が娑婆に出てきたら…そりゃ狙われますよ、間違いなく!ここでやっと、「一生、逃げ続けるのか?」というセリフが生きてくるのだよ。

相手がどんなヤツか、自分のことをどう思ってるのか全く見せないで、右往左往されてもね…

エイミー
「居場所を知られなきゃ大丈夫」

GPSもスマホもない、まだまだ世界が広い時代なんだから、エイミーの言う通り余裕で逃げれると思うのだが…。

エイミー
「お願い…行きましょう」

ウィル
「ダメだ」

エイミー
「ヒーローになろうとしないで!」

おぉまさに!仰有る通りじゃん!

ウィル
「好きでやってると思ってるのか?ここは僕の町で友達もいる。武装隊を組織すれば何も起こらないさ」

なんという言い草…ツカミからして失敗だし、主人公に嫌気がさしてしまう時点で見る気になれない。感情移入できないし、応援しようとも思えない。

エイミー
「そんなはずない」

ウィル
「ここで片をつける」

なら、なんで一回逃げたの?だったら最初からそう言えよ!そっちの方がまだマシだったな…

ウィル
「すまない。気持ちはわかるよ」

エイミー
「本当?」

ウィル
「君の信仰に反するのは分かっている」

え?信仰心の問題?!そんなこと関係なくて、あなたの言ってることが支離滅裂なんです。

エイミー
「でも戦うのね?…結婚したばかりなのよ。未来が私たちを待っているわ」

ウィル
「時間がない。忙しいんだ!」

おい!ますます、この男を応援できない!こんな男がグレース・ケリーと結婚できるわけないだろ!男としても何の魅力もない、ただのジジイで不躾なヤツと結婚するエイミーを見てると、どうしても身売りしてるようにしか見えない。言ってることもマトモなのはエイミーだし。

ウィル
「ホテルで待て」

エイミー
「いいえ待たない。夫が生きるか死ぬか1時間も待つの?そんなの耐えられない。一緒に行かないなら正午の列車で去るわ」

なぜ1時間?その算出方法は?んで、この正午の列車もよく分からない。娑婆に出てきた三人組も正午の列車を待ってるんだよね?これって同じ駅のこと?違う駅?このいまいる町から駅まで、どれくらいの距離感なの?

ウィル
「僕は残らねば…」

馬車で立ち去るエイミー。


次のカット、駅で切符を買うエイミー。
そこには三人組がいる。え?ホントに意味わかんないんだけど…ってことは町から駅まで全く遠くないよね?!え?なら三人組は列車を待ってどこに行くの?復讐とは無関係じゃね?

これ三人組は、正午に到着するボスが乗ってる列車を待ってるのだ…と、やっと理解する。
いや、これ分かりにくいよ。

酒の調達に町の酒場まで来た三人組のひとり。
そこでウィルと鉢合わせるも、睨み合っただけで何も起きない。なんやねん?復讐は?別に何も起きないやん。で三人組は、どこに向かうの?これなら、保安官に戻る必要もないのだが…つか個人的な怨みなら、保安官に戻っても戻らなくても、一生追ってくると思うのだが…

なんかわちゃわちゃしてきて非常に見づらい。

駅で待ってるのは罪ではないと、彼らは何もしてないから逮捕できないと言うウィル。しかし、ボスと合流して復讐カルテットが揃って町に現れるとウィルから先に発砲する!
ウソでしょ?!ただ四人で歩いてるだけなんですけど…


体格がいいからって男らしいと思うなよ…これはジョンウェインのことを言ってる!って町山さん…わかるかよ!そんな裏設定。

町山さんの解説で、すべて知ると全然印象変わってくる…

下院非米活動委員会に呼び出されても、仲間を売らず黙秘を貫いたカール・フォアマンは、ハリウッドに居られなくなり、バッジを叩きつけて町を去るウィルと同じように、映画の撮影が終わるとイギリスへ亡命する。


反・真昼の決闘として作られたのが"Rio Bravo"(1959)なんだとか。監督のハワードホークスもゴリゴリのタカ派で、ジョンウェインと反共コンビで誰も助けない映画の反対バージョンとしてリオ・ブラボーを製作したとか…そんな流れがあったのか…
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