シネマの流星

スケアクロウのシネマの流星のレビュー・感想・評価

スケアクロウ(1973年製作の映画)
5.0
暴力でしか自分を防衛できないマックス、人を笑わせる“フリ“でしか自分の存在を確かめられないライオン。カラスを脅かすカカシとカラスを笑わせるカカシ。どちらもカカシ。案山子は表情が同じ。それは自由の女神と同じ。カカシはアメリカの象徴。マックスはカーウォッシュを始めようとする。車はアメリカの象徴であり、アメリカは汚れる。そのアメリカで暮らすマックスは自らの人生を洗い直そうとするが、カカシにアメリカン•ドリームは掴めない。カカシの表情が変わらないように、マックスもライオンも変わらない。枯れた草むらでふたりのカカシが出会う冒頭から、一見ひとりになったように思えてそこにはもうひとりが存在しているラスト。野生の磁力によって旅先で女を引き寄せるマックス、女を放棄してしまった過去と望んでもいない男を引き寄せてしまうライオンのコントラスト。この映画の「人語り力」を褒め始めたらキリがない。マックスもライオンも最初から最後まで変わらない。ふたりが変わらないから、ふたりの関係性は変わっていく。旅は自分を発見する以外に、「自分は自分である」ことを発見する側面もある。旅の目的地はゴールではない。スタートなのだ。
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