レオピン

愛を読むひとのレオピンのレビュー・感想・評価

愛を読むひと(2008年製作の映画)
3.8
序盤と中盤以降の落差がものすごい。
ウィンスレットの容貌の変化には目を見張った。

いくつか全く違う時代が切り取られていたが、画面の端に映し出されるのはいつも工事現場。新生ドイツの慌ただしさと拭えない過去との対比か。

序盤では二人のラブストーリーに引き込まれる。ハンナが怒りながらブラを外したり服を脱ぎだしたりする姿にドキドキしながら見ていた。
二回り近く年の離れた女性に猛アタックするマイケル。どこか気難しく大変なひとに恋に落ちてしまった。

謝るのはいつも僕だ
謝るなんてそんな必要は誰にもないわ

この言葉の真の意味は中盤以降でようやく分かる。彼女がどういう人間なのか。どうしていつも重苦しい罪悪感を抱えて生きていたのか。

マイケルは偶然に立ち会った法廷でハンナを見かけ、そこで彼女の過去を知りがく然とする。

彼女は戦時中、SSの一員として収容所の看守として勤務していた。またある時期からアウシュビッツへ送る人員を選別する役目を負わされていた。そして「死の行進」と呼ばれる収容所への移送の最中に300人ものユダヤ人を炎の中で見殺しにしていた。。。

彼女の罪には文盲ということが大きく関わっていた。そしてそれを隠そうとしていたこと。
おそらく彼女はロマの出自の人間なのだろう。

非識字者にとって本の存在や文字自体が脅威とうつる。それは想像のつかないことだ。レストランでメニューを見るとき、初めて図書室に足を踏み入れるとき、ハンナの顔は恐怖にひきつっていた。

彼女には命令書を読んで理解をしサインをすることなど到底出来るはずもなかったが、文盲が発覚することの方を怖れてあえて筆跡鑑定を断り無期懲役の刑に服した。

出所を目前に控え20年ぶりの再会でマイケルに過去を問われたハンナ。だがその答えはあまりにも悲しかった。

彼女の遺志を届けるためNYへ。教会の火事の生存者であるマーター親子(レナ・オリン)の娘。
彼女がいう、収容所は何も生まない 何もよ・・・

赦しを得ようなどと思うこと自体がナンセンス。
だがマイケルが帰った後、彼女はあの手渡された空き缶を家族の写真の隣りにそっと並べた。

家族親類同胞を無慈悲に殺されたユダヤ人女性の部屋に、元SS看守の無期懲役囚が大切に持っていたガラクタがそっと置かれる。その光景の意味をもう一度ゆっくりと考えてみたい。

⇒音楽:ニコ・マーリー

⇒同じホロコーストものの『ソフィーの選択』と比較してしまう。
ストリープは非ユダヤ人でありながら収容所に送られてしまったカトリック女性。ウィンスレットはドイツ人でただ働き口を得るために収容所の看守となった女性。

⇒キャスティングではウィンスレットにいく前にキッドマンに話がいっていたそう。ウィンスレットでよかった。
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