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スレッジのotomisanのレビュー・感想・評価

スレッジ(1969年製作の映画)
4.1
 熱きセガレにせがまれただけかと思ったら実は心底ラウラに惚れていた?大悪党で流れ者のスレッジが、乾坤一擲の大仕事で三度でも死刑にされそうな戦果を挙げながら何の痛手か空っ手で消えてゆく。
 今ならキロ600万は下らない金がひとり何キロ、いやざっと十数キロ、残りの一生安穏と暮らせるだろうに、さっきまで命を任せあった仲間だったのが、そこは蛇の道の連中だ、相手がいれば呑むまで行き止まらないらしい。ぼちぼちと始まった博奕が熱を帯びて丸裸、イカサマも飛び出しては命の遣り取りにまで。
 さえない呑んだくれ位の感じで始まったスレッジの次の稼ぎまでのブラブラに、これまた冴えないムショ帰りとっつあんの儲け話が割って来てこいつに熱が入る。町の監獄に三千万ドルの砂金の保管があって盗んでくれと叫んでいるそうな。そんな景気のいい話に浮かれ気分の前半のポジティブ嗜好から、じわじわと現実の毒が染み渡って蛇同士の食らい合いにつながっていくのだが、この軟派な雰囲気をばっさり切り捨てて悪い稼ぎに乗り出していくところがいい。
 こんな変化のある悪党話しをよく撮ってると思ったが、ヴィック・モローの監督作はこれ一件だけらしい。まさかの五十三で戦死を遂げなければ案外いいものをこさえてくれたかもしれない。「暴力教師」と「コンバット」で名をあげて、新聞で将に「軍曹戦死」と報じられたのだが、そんな役者ちょっとは居るまい。
 そんなわけで、難攻不落監獄金庫とガード五十名の撃破はとっくと見ろだが、問題はその荒稼ぎの数億円を結局カードで皆スレッジが巻き上げてしまうそれからだ。
 縛り首でも銃殺でも最期は構わねえから、頭が白くなる頃には女が料理でもこさえてる横で手足を伸ばして一軒家で暮らしてえのだそうだ。だから、銭が死ぬほど欲しい。でもラウラに言わせれば金の算段より愛を交わし合う事が大事で、失敗したらもう会えない、そうケロリと言い捨てたスレッジもそんなラウラの言葉を覚えていたわけだ。
 最後、もう料理をこさえてくれるラウラもいなくなって、やっとカネの使い道の意味が分かった。添木に使っただけだけれど、イエス磔刑像の生えた右手に銃を構え、ちょっと前までの仲間から望んで買った恨みを蹴散らしてもまだ生きるのだ。世界中を敵に回すように生きて、ほんとに欲しいものは決して手に入らない。やっとそれが分かって消えてゆくが、右手の十字架が外せる時どんな生き方を選ぶんだろう。
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