Naoto

麦秋のNaotoのネタバレレビュー・内容・結末

麦秋(1951年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

「今、チボー家の人々を読んでるんです。
まだ四巻の途中ですが、面白いですよ」

そうか、と思った。
家族とは終わりなきもの。
どこまで読み進んでも読み終わる気がしないチボー家の人々のように、何度も何度も収穫の時を迎えては木枯らしの時を迎える。
前の世代の人間はじっくりと役目を終えていき、また新しいサイクルが麦を実らせる。

本作はそんな終わりなきサイクルを営む一つの家族を描いた作品だ。

主役は原節子演じる間宮紀子。
ほかに父、母、長男とその妻、甥が2人いる三世帯。
北鎌倉に居を構える間宮家は非常に賑わっている。
甥2人はやんちゃ盛りの小僧であり、紀子と義姉が巧みに気を配る。
長男が舵を握れば父母が優しく見守る。
まるで小春日和のような麗かさである。

そんな間宮家には少し前に肌を刺す冬が到来していたことが示唆される。
次男が戦争で亡くなっているそうだ。
次男の死に接近すれば春を迎えている間宮家に細雪がこんこんと降る。

そして作品はいよいよ春を過ぎて麦秋の時を迎える。
紀子の結婚である。
紀子の結婚への願望は当初ほぼなかった。
それが思い立ったように結婚する。
「この人なら安心できると思って」
と彼女は言う。
それは寒い冬を越え、陽光がさす方へと進むことを欲する人間の生物としての習性のようなものだと思った。

紀子が運んだ麦秋の季節はつむじ風のように、家族に幸福を運ぶ。
麦秋の時は美しい。
その様は風光明媚とする。

紀子は嫁いだらすぐに秋田に行くと言う。
そして紀子の去る実家には閑閑とした静寂が訪れる。
また冬が到来するのだと思った。

くるくる、からから、まるで風車のように回る時の円環は家族を再び冬に連れ戻す。

そして小津は母にこんな台詞を喋らせている。
「人間って不思議なもんですねぇ、今あったことをすぐ忘れるくせに省二(次男)が元気だった時分のことははっきり覚えてるなんて。」

小津は、どんなに風が吹き荒ぶ厳冬の季節の中でも、麦秋の時はいつでも内的に経験できると言いたいのだと思う。
その心は雪の麓ではにかむ様に花を咲かせる雪割草のように、しなやかに生命の律動を刻むのだ。
Naoto

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