ハル奮闘篇

フィールド・オブ・ドリームスのハル奮闘篇のレビュー・感想・評価

5.0
【 Wanna have a catch? 】

 野球が大好きだ。
 小学校の頃は公園での野球も禁止されていなくて、ランドセルを家に置くと公園に走った。上手くはなかったけど、友達とボールを追うのが楽しかった。

 二人の息子たちが野球チームに入っていた頃は、名ばかりのコーチだったが、毎週末が練習と応援で明け暮れた。よく親子でキャッチボールや素振りなど自主練もした。

 プロ野球も大好きだ。
 十歳の年から同じチームを応援している。負けても負けても 応援し続けている。
 あと数年で半世紀だ、と思うと驚く。人生をともに歩んできたチームだ。

 そのチームのファンになったのは、僕の父の影響だった。
 時代的に、また地域的に、巨人ファンが圧倒的に多数だったのだが、「王者巨人、特に王・長嶋に立ち向かっていく村山という投手に惚れた」と、父はそんなようなことを言っていた。

 息子は父親の真似をしたがる。
 小学生の頃、クラスでそのチームのファンは僕を含めて二人だけだった。ひねくれ者は父譲りの血筋なのかもしれない。

 十三のときに父が病気で他界した。突然だった。
 そのチームは弱くて、結局 父と一緒に優勝を喜ぶことはできなかった。

 思えば、父とキャッチボールをしたことは一度もなかった。
 我が家は飲食店を自営していて、両親は土日に働いていたからだ。
 父は水泳も柔道も得意なスポーツマンだったから、きっといい球を投げただろう。
 体格が良く男前で、低くて甘い声。父に憧れていたと思う。

 ただ、父と人生についての話をした記憶はない。父の人間性もわかっていたとは言い難い。息子にとってはただカッコよくて優しい父親だった。
 あとになって父の友人から「大らかないい男だった」「でも、酒は飲み過ぎていた」と聞いた。肝臓を患うほどだった。知らなかった。末っ子だったし、子どもだった。
 そして父が逝ったあとも そのチームはずっと弱かった。

 迎えた1985年。僕が二十歳の年。
 七夕まつりで短冊に「死ぬまでに一度でいいから優勝が見られますように」と書いた、まさにその年。いわゆる「バックスクリーン三連発」で記憶される年だ。

 「この試合に勝つか引き分けで、生まれて初めて優勝が見られる」という夜。中日ファンの友人二人が酒を抱えてアパートにやって来て、一緒にテレビを見てくれた。あとアウトカウント3つで21年ぶりの優勝、というあたりで涙がポロポロこぼれてきた。

 最後の打者をピッチャーゴロに打ち取った。
 選手たちがマウンドに集まって来て抱き合うのを見ながら、まず思い浮かんだのは、「お父さん、見てる?阪神が優勝したんだよ」という思いだった。
 そう思ったら、堰を切ったように涙がどっと溢れ出した。
 中日ファンの二人が「おめでとう」と言って升に酒を注いでくれた。
 泣きながら「人間って嬉しくても泣くんだな」と思った。
 それから先、その夜のことは憶えていない。



 さて。映画「フィールド・オブ・ドリームス」。

 1919年というからもう百年も前のこと。
 MLB(メジャーリーグ)のワールドシリーズで八百長事件が起きた。シカゴ・ホワイトソックスの主力8選手が賄賂を受け取ってわざと試合に負けたとして、刑事告訴されたのだ。
 野球を国技のように神聖化する風潮のあったアメリカ社会に衝撃を与えたという。8人は刑事責任こそされなかったが、国民的スポーツとしての面目を保つためか、球界を永久追放されるという重い処分を受けた。チームのオーナーの利益搾取による選手への冷遇が原因とも言われるが、真相は未だにわからないという。
 映画「フィールド・オブ・ドリームス」の背景にはこの事件がある。

 アイオワ州に住むレイ・キンセラは、ある日、自分のトウモロコシ畑で不思議な声を聞く。
 「If you built it, he will come.」「それを作れば、彼はやってくる」。
 戸惑ったレイだが、やがて それは「畑に野球場を作れば、追放された8人のうちの1人で、名外野手の故シューレス・ジョー・ジャクソンが来る」という天の声である、と受け止め、それを実現させたいと思うようになる。

 収入源である畑を潰して野球場を作る、というレイのばかげた夢を、妻のアニーも笑い、呆れる。
 しかし、ささやかながら幸せに暮らす一方で、レイには「何も冒険をせずに人生を終えていった父のようになりたくない」という思いがあった。
 レイの父親はジョー・ジャクソンに憧れた元マイナー・リーガーだったが、夢を諦めた人物だ。男手ひとつでレイを育てたが、レイは若いときに口論から家を飛び出し、それ以降一度も父親に会わず死別した。
 レイのこんな苦い独白があった。「信じられるか? アメリカで生まれ育った男の子が野球が嫌いだなんて」。
 それでも、そんな夫の途方もない夢に相乗りして球場づくりに賛成し、借金苦や町の人々の冷笑に、明るく強く立ち向かう妻のアニーが素晴らしい。

 物語は中盤以降、思わぬ方向に展開する。レイは〝声〟に導かれて夢に挫折した人々に出会い、さまざまな奇跡を体験する。

以下、結末に触れます。
↓ ↓ ↓










 果たして、〝シューレス〟ジョー・ジャクソン(の幽霊)がトウモロコシ畑の中から 幻のように現れ、夢の球場にやってくる。
 打撃投手を務めるレイの投球を軽々と弾き返す。さすがはメジャーの好打者。そして、ジョーは木のバットを撫でるようにして感触を懐かしみながら、しみじみと言う。
 「野球はいい。野球さえできれば、金なんかいらない」。

 その後、球界を追放になった8人やその仲間たち(の幽霊)が次々と現れ、レイの球場を借りて楽しそうにプレイを始める。
 その様子を眺めながら、レイたち一家は満足そうに微笑んでいる。選手たちが球場のオーナーであるレイにありがとうと言ってトウモロコシ畑に消えてゆく。


 しかし、クライマックスはそのあとに待っていた。
 プレイを終えた選手たちのうち、キャッチャーがマスクを外す。見覚えのある顔。青年時代の父親ジョン・キンセラだったのだ。生活に疲れた中年ではなく、野球選手を目指している若者だ。

 彼にも自分が幽霊であるという自覚がある。その幽霊が、美しい球場を目の前にして表情を輝かせている。
 「夢が叶ったような気分だ。ここは…天国なのか?」
 「いや、アイオワさ。…でも、ここが天国なのかもしれないな」

 レイはジョンに妻アニーや娘を紹介する。アニーが気を利かせて、二人にしてくれる。
 男たちは話をするが、レイは自分が息子だとは明かさない。
 「ありがとう」と固く握手をして別れようとしている。

 観ているこちらはじれったい。
 このままでいいのか。このまま帰していいのか。
 「あの言葉」を言ってくれ、レイ!そう願ったときだ。

 「…父さん …キャッチボールしないか?」
 「いいね…やろう」

 このセリフで、僕の中の、父への思いと野球への思いが一緒くたになって、熱い涙になって溢れ出した。

 カクテル光線の中でキャッチボールをする二人の姿を 空からカメラがとらえる。この世のものとは思えないほど美しい。


 僕の息子たちは19歳と16歳になった。長身の僕がいまでは二人を軽く見上げる。
 先週末、久しぶりに3人でキャッチボールをした。二人とも伸びのある、なかなかいい球を投げる。キャッチャーミットで受ける僕の親指の付け根が しだいに腫れ上がる。

 キャッチボールというのはいいものだ。一瞬で関係性を取り戻せる。
 息子たちの前では素を見せているつもりだ。彼らは父をカッコいいと思ったことはないだろうな。ただ、へなちょこだけど、アツい人間だとは伝わっていると思う。それでじゅうぶんだ。

 二人とも立派な阪神ファンに育った。
 大逆転負けを喫した今シーズンの開幕戦。一緒に大声で叫んで喜び、そのあと一緒にがっくり肩を落とした。