ろ

我が家の楽園のろのレビュー・感想・評価

我が家の楽園(1938年製作の映画)
5.0

「後戻りなんてしない。私はユリの花なのだ」

大企業カービー社はライバルを出し抜くため、ある土地を買収しようとしていた。ところが、一軒だけ立ち退きに応じない家があり・・・

くるくると踊りながらダイニングを闊歩する孫娘と木琴を奏でるその夫。
娘はタイプライターで脚本を執筆中、地下では花火の実験が行われ、ときおり派手な爆発音とともに’愉快な我が家’と書かれた銅板が壁から落ちる。
そんな賑やかなバンダーホフ家は、おじいちゃんが吹くハーモニカの柔らかな音色に包まれていた。

社長の息子トニーは、バンダーホフ家の孫娘アリスに言う。
「君の家族には驚かされたよ。好きなことをして生きるってすばらしいことだ。人はあくせく働き、知らぬ間に人生が終わる。でもあんな風に生きるには勇気がいる。」
「祖父が言ってたわ。今の人の生活は恐怖に支配されているって。食べ物、飲み物、仕事、将来、健康、お金にすら怯えてる。祖父に教わったわ、”何も恐れずに自分を信じて生きろ”って。”人生を楽しめ”って」

はじめから負う必要のなかった責任を途中で投げ出すこと。
誰にどう見られても思われてもいいと腹を括ること。
長年続けてきた好きでもない仕事をやめて、やりたいことをしながら生きること。
自分に正直になること、相手の想いを受け止めること。
幸せになるのに一番必要なのは、勇気だったんだなと最近よく思う。
どんなふうに働くのか、どんな自分として生きていたいのか。
自分の本音と向き合う勇気、人生の方向転換をする勇気。
幸せへの一歩を踏み出すのかやっぱりやめておくのか、私たちはいつでも選ぶことが出来る。

階段から落ちて怪我しても「小さい頃から松葉杖に憧れとったんじゃ」
過激派と間違われて逮捕されても「なんだかお芝居みたいじゃない?」「指紋とられるの楽しかったな」
こんなのどうかな、いいねそれやってみようよ。それぞれが好き勝手に過ごしているからこそ、人の意見や考えを否定しないバンダーホフ家。彼らの作る居心地の良い空間は、家から道端へ、そして裁判所まで広がり人々の心をほぐしていく。

自分らしさを重んじる家庭で育ったとしても、他人の顔色を窺い始めると幸せは遠ざかっていく。
仕事と世間体が何より大事だったとしても、いまの生き方に疑問を感じ始めたらそれは幸せになるためのチャンスかもしれない。
自分軸と他人軸を行ったり来たりしながら、幸せを放してはまた捕まえる。
「人生に退屈なことなんてない。なんでも楽しめる」
雑居房も、灯りの消えたがらんとした家も、あの曲を奏でれば我が家になる。


( ..)φ

久しぶりにキャプラを観た。というより観られるような精神状態が戻ってきた。
「まぼろしの市街戦」のようなクセ強め自己肯定感高めの自分軸ファミリーを、マジョリティとして描いているところが本当にすごいと思ったし、刺さるセリフが多すぎて観終えるのに3時間半かかった。

「よし、大きな音でハーモニカを吹いてみよう」
困難に直面したときにはハーモニカを吹いてみるというおじいさん。
幸せを掴むための勇気を、これから何度もおじいさんにもらうだろう。
ろ