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カラビニエのTnTのネタバレレビュー・内容・結末

カラビニエ(1963年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

 戦争という状況に、一切の葛藤もなく染め上げられる人物像は不気味。そうした存在になればなるほど戦争というシステムの理不尽さといとも簡単になびく人間の愚かさが浮かび上がる。鈴木史さん、池田百花さん、上條葉月さんの登壇による話では「戦争ごっこをしてるかのよう」と言ってて、なるほどと思った。調べたらロベルト・ロッセリーニが脚本に参加しており、原案はブレヒトの戯曲だとか。そうなると、ネオリアリズモと異化効果という要素さえしっかり引き継いだ良くできた作品だと思う。ただ初期ゴダール作品、音がうるせえ!(別にええけどという寛容さは持ち合わせてます)。オルガンみたいな劇伴はタル・ベーラ的荒廃があってめちゃ世界観にあってた。

 「シンドラーのリスト」が戦争を人の物語、内側から外側へと向けられるものであったのに対し、今作は戦争をとにかく外側から見つめる。観念を徹底的に廃した、冷徹な作りだ。今作の登場人物がイメージに取り憑かれるように、戦争も一切の情動を演出しない単なるイメージとしてしか提示されない。しかし、荒野に掘っ建て小屋、寒々しい町と淡々と行われる処刑、けたたましい銃撃、実際の戦争のフッテージ、死体の画像。情動を超えて、本能的に戦争への嫌悪を駆り立てるという離れ業。戦争を伝えるために、ついに自らその穢れを負った作品が今作なのだ(対談の中では公開時1800人しか来場しなかったとか)。

 フッテージと虚構を混在させることは映像を均質化してしまうものだと思っていたが(特に「世界残酷物語」的作為もあるわけで)、返って並置されることで避けがたい現実性を目の当たりにするものだなぁと思った。あまりに作為性のないポッと入れられた死体の画像の強烈な”そのもの性”。これはブレヒトイズムだなぁ。

 台詞の間が死んでる…台詞繋ぎとかあんまりしないで、カメラが被写体を映してからその人物が少し間を置いて喋り出す。これもまぁあえてなんだろうな。その言わされてる感が強調された彼らの言葉はうわ滑る。情がわかないわけだ。しかし、面白いのが単語の羅列になると皆急に饒舌になるのである笑。そういう意味でもゴダールの文法は映像言語的だなと思った(接続詞を付けなくても映像は接続してしまう)。

 そんな言葉の羅列と同じく今作は戦利品の絵葉書の羅列も饒舌に行われる。これはまさに「イメージの本」初期衝動だろう。ゴダールの初期映画って耐えられない冗長なシーンがあって(個人的にかもしれないが「勝手にしやがれ」のミシェルとパトリシアの部屋のシーンとか)、今作においてこの絵葉書はくどかった。イメージの無意味さを知らしめる拷問だった…。新たなイメージを得るのが戦争であり、しかし参加した兵士が実際にその土地を付与されたりするわけではなく、そのイメージを得たという概念だけが残されるのである。勲章のバッジも、まぁ無意味よな。また”名誉の戦死”も、途中ミケランジェロが連呼することで無意味化している。

 やや抜けた性格のミケランジェロが映画を初めて見るシーンがある(唯一ぐらいの真に笑えるポイント)。「ラ・シオタ駅への列車の到着」オマージュな映像にビビり、パイ投げに笑い、美女の入浴に引き込まれる。この入浴シーンに至っては、スクリーンの前まで行き、しかし触れられずにとうとうスクリーンを突き破ってしまう。ここでは「キートンの探偵学入門」のようにスクリーンの中に入れないのだ。ゴダールは常々「映像って危険ですよ〜」みたいな注釈を作品内で行う。対談で、絵葉書のシーンは映画黎明期に映画が撮った被写体と同じであるように思うという発言があったが、ほんとにそうだなと思った。そのオリエンタルな欲求を駆り立て、実際にその土地を希求し戦争になったとしたなら、それは映画そのものの功罪である。今作はそんなことを言いたかったのだと思う。映画、軽々と人の目を騙し、その”眼望”を映し出し、プロパガンダとなる。その真逆をいこうとしたら、今作みたいになる。今作は映画が捨ててきた負の塊みたいなものなのだろう。てかゴダール作品っていつもそうか。

 初期ゴダール作品は誰かの死と同期するように映画が幕切れる。今作もあっけなく主役格が始末されて終わる。”死”自体を語れないとゴダールは思っていたのであろう。ブレッソンがカラーになってから撮った作品もまた死してぶつ切りエンドがあるが、ゴダールインスパイアなのかも。無常というか無情…。
 
 役者陣、素人ばっかりなのかなと思ったけど、ジュヌヴィエーヴ・ガレアはエマニュエル・べアールの母にあたり(そりゃ美人や)、アルベール・ジュロス(現Patrice Moullet)とカトリーヌ・リベイロは今作をきっかけに出会ってCatherine Ribeiro + Alpesを結成する。マリノ・マッセは脇役としてキャリアを全うし「ゴッドファーザー3」に出てたりする。何者でもないから、逆に可能性の宝庫で、そういうポテンシャルを見抜くのうまいのかもな、ゴダール。それを全然使わないのがゴダールだけど笑。マリノ・マッセ演じたユリシーズが戦争から帰ってきた後の顔が、めちゃくちゃゴダールそっくりだったな。

 彼らのごっこ遊び感はそれ単体では見てて結構楽しかった。自分は硬派な作品だと思ったが、戦争映画にしては敷居は低い方かもしらん。溌剌な若者が演じてることも気軽さに貢献している(地雷にもなりうる笑)。
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