きりん

少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録のきりんのネタバレレビュー・内容・結末

4.1

このレビューはネタバレを含みます

比喩表現に注ぐ比喩表現、虚構と現実の曖昧さが盛り沢山。アニメで鍛えられたのか謎解きみたいで段々楽しくなってきた。

ウテナのショートヘア可愛い〜!
星空と水面の間で踊るシーンも好き
空中庭園にあるバラ園の花々が、溢れた水と一緒に地上へ流れ出す光景美しかった

ウテナが冬芽と決別するシーンでボロボロ泣いた
ウテナは昔お姫様として守ってもらえた経験があったから、今度は自分が王子様側になろうってバネにできたんだなって思えた
そうしてもらえて嬉しかった過去が1つでもあったから。
だから冬芽、あの頃優しくしてくれたことありがとう…

ウテナが冬芽にさようならできたように
アンシーもディオスにさようなら私の王子様
できたのいいね
過去の美しい思い出に縋るのではなく、プラスに変えて
未来に向けて今を犠牲にせず見つめられるようになったんだね…
ウテナとアンシーの二人で強くなれたんだ
二人で自分の人生という世界を革命したんだね😭

誰しもが過去に悲しみや罪悪感で苦しんだ事があるだろう。そこで戒めに自分を罰し続けたり、昔の甘い毒を飲み続けながら他者を蝕むのでもなく。
思い出の中にある奇跡みたいな良い部分に心から感謝をして残りはもう切り捨てて新しい時間を進めるという払拭が、洗い立てのシーツを敷いた時のようなまばゆい気持ちになれてよかった


•*¨*•.¸¸
以下、幾原監督によるオーディオコメンタリー抜粋など。すごく興味深かったので引用

(29:肉体星座αψζ星雲)
枝織は冬芽というゴーストに取り憑かれているキャラクターなわけなんですね。
枝織っていうのは、非常にネガティブなキャラとして描いていて、自分がゴーストに取り憑かれているという事に対して、彼女自身非常に自覚的なんですけど、そこから自分の意志では逃れようとはしないキャラクターとして描いたんですね。
もちろんアンシーもそうなんですけど。自分がゴーストに取り憑かれているという事に、非常に自覚的なんですけど。
枝織っていうキャラクターの場合はその事を非常にネガティブに表面化させようとするキャラとして描いてますね。
だから間接的に、その枝織に翻弄されている樹璃っていうのは結局、樹璃そのものもゴーストに取り憑かれている、かつて死んだ冬芽に縛られているキャラクターとして描けるんじゃないかと思って、その事自身、僕も面白いアイデアなんじゃないかとは思ってましたね。
樹璃っていうキャラクターは非常に日本では、ウテナファンの中では人気があって、僕も非常に好きなキャラクターなんですけど、ある意味では、ウテナと非常に似ている部分があって、よくウテナと対比されますし、もちろんその僕らもウテナと対比させるために作ったキャラクターです。

(32:告白昇降室)
今回の作品では、薔薇と、そしてもうひとつ水というのを非常に重要なモチーフとして描いていますね。冬芽とウテナが出会った時にまず雨が降っていて、そして水の無いプールでみんなが掃除をして、
そして大きな空中にある薔薇園で二人が水の中でダンスを踊るというシーンがあり。
何故、その水と薔薇のイメージを繰り返して画面に登場させているのかという意味がこのシーンのためにあったわけですね。

(33:光さす庭)
冬芽というのは、実はもう子供時代に溺れ死んでいるキャラクターなんですね。実はゴーストで、ウテナと枝織とあと何人かが見ている夢のようなキャラクターなんですね。実はずっと昔に彼は死んでいて、ウテナや枝織のイメージの中にだけ存在しているキャラクターだったんですね。
そしてこのシーンでは、ウテナも、枝織がそうだったように、死者の世界に冬芽が誘おうとするんですけど、そこでウテナは自分はその世界には行かないという事をはっきりさせ、ここで冬芽と別れるというシーンですね。
そして冬芽自身もゴーストではあるんですけど、やはり今もウテナを愛していて、そして、ウテナと別れるという、非常にこのシーン観客からは支持が高いですね。
さいとうさんは今のシーンが一番好きだって言ってますね。(わかります…!!!)

(45:さよなら、私の王子様)
ここで今回のもう一人のゴーストである暁生っていうのが出てきますね。
このシーンっていうのは非常に重大なシーンで、ウテナはこの作品中、自分を王子様だって言ってるわけですけど。
溺れた女の子を助けなきゃいけないという正義感を持ったピュアな心の持ち主である、本当の王子様である冬芽や、そしてアンシーにとって優しい兄であった暁生、彼も本当の王子様なんですけど、本当の王子様っていうのはこの世界ではもう死んでいるんですね。
そして、王子様が死んだ世界で、いないと云われている世界で、王子様のフリをしている女の子がいるファンタジーの世界っていうのが、僕は非常に面白いと思ったんですね。

その事の意味っていうのはまあ、一言では言えないんですけど、ひとつにはその、大人になることの意味っていうのを表現したかったのかな、と自分では考えています。
大人の世界には、ピュアな心な人も、自己犠牲精神を持った人もいないんだけど、その事を知ったときに、あなたはどうしますか?と

(46:脱出)
つまり、たとえば、大人の世界は非常に汚れていて、ピュアな人は生きられない世界だとしたら、自分は大人になるのをやめて、子供の世界で、子供の美しい夢が見られるだけの世界で生き続けようとするのか、それともやはり、大人の世界がピュアでないと知りつつも、大人の世界に挑む人生を選ぶのか、どっちなんだろう、という事で、この作品のクライマックスというのは表現されていますね。

よく「何でこういうラストシーンにしたんだ」っていう風に僕自身もよく聞かれるんですけど、
まあ僕自身、なんでこういうラストシーンにしたのかはっきり分からないんですけど、多分、僕が社会に出る前、10代の頃に、どのように社会の事を考えていたのかっていうのを、反映させたかったと思うんですよね。こういうビジュアルイメージっていうのを、多分、僕が10代の頃に非常に考えていたんではないのかと思うんですよね。
つまり、大人の社会っていうのは、ピュアじゃないと。ピュアな人は大人の社会では生きられないっていう風に思い込んでて、だとしたら自分は、大人なんかになりたくないなって思っていたんですけど、はたしてそれでいいんだろうかと、まあずっと思っていて、今に至ってるわけですけど。
そういう意味では、あの頃の、10代の頃の、自分の気分っていうのを、正直に表現しようとして、作ったラストシーンですね。
あのクライマックスのシーンっていうのは、本当の事を言うと僕は、これから社会に出ようとしているティーンエイジャーに見てもらいたいシーンですね。
そしてまあ、自分の事をちょっとカッコよく言うと、自分自身、まだ荒涼とした大人の世界で、生きているんだなっていう、自覚があるんですね。
だから、今の自分自身のためにも、あのラストシーンを作ったんだという想いがありますね。

最終回放映当時に幾原監督は「自分が信じることをやりとげようとして消えてしまったウテナも、居心地のいい世界に留まろうとした暁生も、大変なリスクを背負うことを承知で新しい世界に旅立ったアンシーも、どれもみんな、今の僕であり、僕の気持ちだよ」と語っている。
『ウテナ』は「大人」と「これから大人になる者」の物語であったのかもしれない。


決闘の勝者であるウテナに「どんな奇跡もどんな永遠もその手に掴める。この世界にいる限り」と微笑みかける。だが、ウテナはそれを否定し、「行こう、外の世界へ」と言うのであった。
(ここ最高に好き(´;ω;`))

『外の世界に道はないけど
新しい道を作ることはできる
僕らが進めばそれだけ世界は広がる
きっと』
きりん

きりん