LalaーMukuーMerry

ドッグヴィルのLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

ドッグヴィル(2003年製作の映画)
4.4
「道徳」と聞いて私たちが思い浮かべるその内容は、普遍的なものでずっと昔から変わらないと考えがちだが、決してそんなことはない。終戦以来と考えるとたった70年の歴史しかない。その前は明治以来の道徳が約80年続き、その前は江戸時代の道徳…
          *
人間は社会的な生き物である。このことは人類の始まりの時からおそらくそうだった。夫婦、家族、親戚一族、ムラ社会、地域社会…、コミュニティにのけ者にされたら生きていけなかったから、コミュニティを重んじる「道徳」が自然と生まれた。おそらくこれが最も古い「道徳」なのではなかろうか。それは現生人類の始まり(約20万年前)の狩猟・採集時代から農耕の時代を経て現在も続いている。
          *
だから長い年月の間に、コミュニティを大切にする遺伝子やらメカニズムが脳の奥深くに形成されたに違いないと想像している。本能に近いものだと思う。宗教が生まれて、その他の善や悪についての考えが加わったけれどコミュニティに従うという価値観は守られ続けてきた。
          *
個人の尊厳という思想そのものがなかった時代には、コミュニティに従うという点は同じだが、その「道徳」の中身、善悪に対する考え方の多様性はとても大きかった。アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカのそれぞれで人種、生活様式や地方ごとに全く違う「道徳」があった。今の目でみると、とんでもないようなことが許されていたり、当たり前とされていた。
          *
個人の尊厳や自由が人種や国を越えて普遍的な価値観となったのは、人間の歴史の中でもごく最近のできごとにすぎない。それは決して本能ではない。教育によって人々の大脳皮質の中に刻み込まれて初めて動き始めるものなのだ。そしてそれはコミュニティに従うという古い「道徳」と対立せざるを得ない。
          *
この作品は、1930年代のアメリカの片田舎、住人が20人程度の小さな町ドッグ・ヴィルを舞台に、近代的な個人の尊厳の意識と、古くからのムラ社会の意識との対立を描いている作品となります(私の勝手な解釈です)。映画というよりは舞台演劇、それも大道具が出来上がる前の殺風景な背景の前で行われる舞台稽古のような珍しい感覚の作品。
          *
自然が美しいけれど(想像してください)、何も起こらず退屈で活気のない町ドッグ・ヴィルに、ギャングに追われた謎の若い女性グレースが迷い込んできた。彼女を匿おうと提案するムラの道徳的リーダーの若者トム。ムラ社会といっても、キリスト教の道徳観で身をまとっているから一見善良そうな感じがするが、次第にムラ社会の本性が牙をむいてくる。ボランティアで始めた仕事が次第に過酷な労働に変わっていき、近代的な道徳観が無残に踏みにじられていく…
          *
しかし最終章は、近代的な道徳観(=個人の尊厳)の大逆転となるのだが、その個人がとんでもない人間だったという大変後味の悪い結末となっております。人間の本性とか道徳といったことを考えなおす良い機会となるかもしれません。一見の価値はあるから、ご興味があればどうぞ。