今年度アカデミー賞作品賞をもぎ取ったスポットライト。その作品の題材はカトリック教会による隠蔽、そして隠蔽されなければならなかった神父によるありえてはならない罪だった。
今作は実際に罪を犯した神父とそれを隠した司教のインタビューや当時の陳述、そして被害者の述懐を映したドキュメンタリー。
スポットライトと舞台は違う(今作の神父はカリフォルニア)けど神父のインタビューの胸糞悪いことこの上ない。まるでこいつの中では全て吐けば許されると思っている。キリスト教には告解というものがあるが、それでいいのか?神は許しました、でいいのか?あの時は何も覚えていないなんてセリフがあるけれども実際にそんなことはないのか?何そんな小説のような答え返してんだよふざけんな、って思った。特に、
大人の女の人は?
なにも。
大人の男は?
なにも。
小さい子は?
ちょっと。
小さい男の子は?
うん。
小さい下着をした男の子は?
興奮する。
何なんだこいつ。平気で白髪のおっさんが言ってる。吐き気がするってこういうことだわな。
その反対に被害者の親のセリフが胸を打つ。
『大丈夫。あの人なら娘を安心して預けられる。そう言ったんだ。』
『わたしは昔言ったんだ、君を痛めつけるやつがいたら私がボコボコにしてやる。そう言ったはずなんだ。そしたらなんてザマだ。ボコボコにしなきゃいけない相手にみすみす預けたんだ。親として失格だ』
やり切れなさがあっても仕方がない。相手はカトリックなのだから。
大きな権力にかつけて自分のヤりたい放題する。しかも何か不祥事があっても別の教会に移動するだけ。そこでも罪を犯す。まるでサイコパスだ。しかも一番驚きなのは被害者最年少が9ヶ月の赤ん坊だということ。しっかり字幕に赤ん坊の膣に、とか書かれてホントにマジかよふざけんなよってテレビに向かって言ってました笑
この問題の一番深い所はもちろん相手の権力が強すぎることもそうだけれども、人々が信じている最もポピュラーな存在が自分と周りを裏切っていたことである。相手はほとんどが子ども。全幅の信頼を寄せる相手に一生治らない傷、忘れられない傷をつけられることがどれだけ辛いことか。考えたくもないけど考えてしまう。こんな世界が普通にあるんだ、と思ってしまう。
スポットライトと合わせて見ると深みが増すかも。というか社会勉強にもいいかも。