フロム・イーブル 〜バチカンを震撼させた悪魔の神父〜の作品情報・感想・評価

フロム・イーブル 〜バチカンを震撼させた悪魔の神父〜2006年製作の映画)

DELIVER US FROM EVIL

製作国:

上映時間:101分

3.8

「フロム・イーブル 〜バチカンを震撼させた悪魔の神父〜」に投稿された感想・評価

記録。これは非常に衝撃的。
登場する神父は根本的にイカれたサイコ野郎でゾクっとさせられる。こんな奴がゴロゴロいるってんだから堪らない。
また、ある被害者の両親の叫びは正に慟哭で胸にくるものがある。
キリスト教や教会に明るくはないけど、観といてよかったと思える良作ドキュメンタリー
sunaimai

sunaimaiの感想・評価

3.1
まさかアカデミー作品賞『スポットライト』を生み出すことになるとは。観といて良かった。
ショウ

ショウの感想・評価

3.0
間違いなく一石を投じたドキュメンタリーのひとつ。これだけの被害者を生んでも蓋をし続けたバチカンの当事者意識の低さを目の当たりにして、自分も襟を正さねばと思った次第。見えないふりはしちゃいけない、それだけのことなはずだから。そしてオグレディは病気。同情はできないけどある意味では悲しいかな被害者でもある。だからこそ、バチカンは見過ごしちゃいけなかった。知れば知るほど悔やまれる思いが募る。(733)
カトリック教会神父の児童への性的虐待とその問題に対処せず、隠蔽するバチカンとカトリック教会についてのドキュメンタリー。

アメリカで聖職者による子どもへの性的虐待の件数は10万を超えている。また子どもへの児童虐待は4世紀ぐらいにまで遡る。

教会は名誉を大事にし、権力が重要になるので、問題が起きても問題を認めない。事件が起きても別の地域に飛ばすだけで、罷免や治療に結びつけたりしない。

被害者、被害者の家族、担当弁護士、加害者へのインタビューと裁判の記録を中心に構成されている。加害者の神父が、自分のやった性的虐待について割りと飄々としていて明るい。
被害者側は過去を振り払えず、怒りと大号泣。

見ていて打ちのめされる。
森の木

森の木の感想・評価

4.2
おぞましすぎて笑ってしまった。宗教世界の狂った世界観が感じられた気がする。「愛の強さゆえに」生後9ヶ月の乳児をレイプする神父。権力と名誉、特権階級であることに執着するバチカン。何が神の化身だよ。

6才くらいで被害に遭った男性が話す最後の場面は唯一汚さを感じなかったけど、基本救いも透明さもない。ひどい話。でもこういうドキュメンタリー撮れるのは凄い。

この映画を観て感じたことは少し複雑で、映画製作者が、中心人物である神父に完全に焦点を当て切るのではなく、バチカンの隠蔽体質や信仰の闇について触れて中途半端な印象に終わることを避けられなかった(私にはそう感じられた)のは、勿論それが問題の核心に関わる重要な議論だからなんだけど、それより本当は、人間の闇が深すぎて手に負えなかった、オチをつけられなかったからではないかと思った。
その神父見てると、彼は悪くない、って気がしてきてしまう。それが彼なんだから仕方がないんだ、生きるために食べて何が悪い?って、私のほうが思えてくるくらいに、彼の身体は自然に動いて止められないように見えた。
それで思ったのは、彼は私達で、彼が人間だ、ってこと。彼の行為は法に触れるし極端だが、私は自分にもそういう部分があると思った。具体的に、こういう特殊な性癖、とか、趣味、とかではなくて、狂っていておぞましい部分、という意味。
だから私は彼を悪と感じなかった。ただ悲しかった。自分がああなってしまったら怖いな、というのと、完全に乗っ取られたようになっている彼を見て悲しかった。振り切っている。あれは病気だ。病気の人を責められるだろうか。みんなその病原体持ってるんだよ。発症してないように見えるだけで。
だから彼を裁くことはもはや不可能で、変えることも不可能で、製作者もそれを感じ取ったから理性での理解が比較的容易な、バチカンや宗教の権力構造に論点を映すことでストーリーを閉じたのではと思えた。怖い話だったな。
ヒルコ

ヒルコの感想・評価

3.6
((((;゚Д゚)))))))こ、怖い!みんなから信頼されているカソリックの神父がとんだ性犯罪者だったと言うドキュメンタリー。しかも教会から変態性を黙認されて。たった九ヶ月の赤ん坊に性行為を試みる、そんな神父がたった七年刑務所に居ただけで、バチカンのカソリック本部から年金を貰って故郷で普通の人として生きているやるせなさ。カソリック教会の隠蔽体質への憤り。被害者側は被害のあった日からそしてこれからも苦しみと戦い続けているのに。たくさんの人に見て欲しいです。怖い。
感想川柳「神に仕え 悪魔の心を 育む者」

松嶋町山の未公開映画を観るTVでやっていた作品です。。( ゜ρ゜ )

危険な小児性愛者である神父を教会がかばい続け、結果、数多くの子供たちが神父によって虐待された。衝撃の事実を明らかにする…というお話。


ドキュメントなんですけど、当事者達はよく出演してくれたなあと思いますよ。(;´д`)自分らが出ることで同じ事を繰り返させないため…もしくは加害者とそれを庇う者達を断罪するためか。

教会という一見悪とはかけ離れた世界にホントに起きた凶悪な事件。加害者も別な神父にやられたと言ってますが、それを辿ったらどこまで遡るんだろうと鳥肌が立ちます(・・;)))これはもう個人というより「キリスト教の体系」が歪んでるとしか思えない。

実際の被害は表面化してないだけでもっとあるそうですからねぇ…( ´△`)

小学生くらいの子供がいる親からしたら恐ろしいことです。Σ( ̄皿 ̄;;
人間という生き物の底無しの恐ろしさと言う感じがする。

人間はいろいろな仮面を持って生きられる動物。動物はそんなものは持たないと思うので。

宗教の信条があったとしても、生き物としての欲求を抑えられない。信条を持ってるからこそ、このような行動に出られるのかもしれないと、思える。

神への信仰を全うするためにこれらのことが必要だとでも言うのか。必要悪として捉えていたら恐ろしい事です。この世は地獄なのでしょうか。

信仰と宗教と立場と個人は切り離さなく考えなくてはいけないのかもしれない。難しい事だと思うけど。

とにかく、やるせない気持ちになります。全てがそうではないのでしょうが。
漆原

漆原の感想・評価

4.0
今まで見た映画の中で一番胸糞だった。

性的虐待。被害者数百人、5歳の少女、9歳の少年、9ヶ月の赤子にまで手を掛けた神父本人のインタビューと被害者・被害者家族のインタビューを交えたドキュメンタリー。

まるで他人事の様に飄々とインタビューを受ける加害者神父。
被害者女性の父親が抑えきれない感情を爆発させ泣きながら声を荒げる様子は見ていて呼吸が苦しくなる。
性的虐待の被害者は永遠に被害を受け続ける。異性と仲良くなっても過去の出来事がフラッシュバックし、死ぬまで消えない過去を何かあるたびに想起させられその傷は完全に癒える事はない。
カトリック教会の隠蔽体質にも開いた口が塞がらない。

加害者神父は被害者に手紙を送り、「私が何をしたか直接語って欲しい、彼らに私と話す機会を与えたい」「私が墓場に行く前に彼らとハグしたいと思っている」「それで終わりにしたい。私にも人生を取り戻させて欲しい」とのたまう。心理状態が理解出来なさ過ぎて怖い。

あらすじ位しか前情報を入れずに見たが、こんなにも胸に傷を付けられる作品だとは思わなかった。
R

Rの感想・評価

4.5
カトリック教会のオグレディ神父と、彼から性的虐待を受けた被害者の家族が、自らの身の上話を語るところから映画は始まる。オグレディは、敬虔な神父であるふりをしながら、頭の中では、いかにして幼児たちを性的な関係にもちこむかを常に考え、ワナを張り巡らしていた。男児、女児かかわりなく手を出しまくってて、はじめは、性器に触れたり、自分のにさわらしたり、くらいだったのが、どんどんエスカレートし、出会っていきなり男児のケツにナニをぶち込んだり、9ヶ月の幼児の膣に挿入を試みていたりと、驚異の異常さ。これを本人が自ら語っていく。同時に、オグレディを心から信じていた被害者と彼らの親たちのその後の苦悩の人生が、本人たちの口を通して語られるため、激ヘビー。信仰を最低な形で裏切られるとは、これほど修復し難い傷を残すものか。彼らの感情が徐々に高まって、激昂していく様子に吸い込まれるように見入ってしまった。それにしてもとんでもない神父がいたもんやなーと思って見てると、彼の犯行を世間の目から誤魔化そうとした役職の高い聖職者が何人もいて、彼らは教会組織のなかで自分の地位が上がっていくことを、人びとの幸福よりも優先しているのだ。とんでもない奴らよ、と思ってみてると、あれよあれよ、この辺からネタバレになるけど、事実として有名やからまぁいっか。どんどん被害者数がうなぎのぼりで、最終的には、バチカンの教皇すら、自分の地位を保持するため、無数のレイプ事件を隠蔽しようとしていたのだ。法政界もグルになって! さらにさらに! 教会の腐敗しきったおそるべきシステムは、4世紀にはすでに始まっていた!らしく、なぜ神父は結婚してはならぬのか、なぜ神父には幼児に対する異常性欲を持つ者が多いのか、などを明らかにしていく。この辺はマジで面白い。ほんでよ。自分たちの地位と名誉を守るため! 法衣の下に隠した醜悪な欲望を見せぬため! かたく閉ざしたバチカンの門! まったく何ということだ。これ見て感じたことが2点。ひとつは、宗教は人に対して権威を持っては絶対にならないということ、権力と結託しては絶対にならないということ。宗教はあくまで民衆に根ざし、民衆を中心としたものでなければならず、人間の幸福のため、というのが何より優先される絶対与件であらねばならない。また、宗教組織体のヒエラルキーにおいては、役職は名誉職ではなく、責任職であるということを絶対とすること。よって、上に行けば行くほど、民衆の幸福に対する責任の幅が広がり、重さが増し、心を砕きに砕いて、民衆に仕えなければならない。これは本来ならば国家組織体でも同じはずやんね。2つ目は、在家の信者、てか人間全般について。人間は、宗教に限らず、何か信じるものがなれば生きていけない。という前提のもとで、自分の信じているものが本当に正しいかどうかを、あらゆる面から査定することを怠ってはならないということ。宗教を持たない人であっても、必ずや、宗教の代わりに何らかのものを信じているはずだ。漠然としているのであれば、一刻もはやくそれを明確化し、ほんとうに自分は間違ったものを信じていないか、今のままそれを信じ続けて裏切られることがないか、それを信じることが100%幸福に繋がっているか、徹底的に査定すべきだと思う。自分が何を信じるかによって、自分がどういう人生を生きることになるかのほとんどが決定される。それをはっきり意識することだ。そして、疑うこと。疑うことは悪いことでは全然ない。むしろ不可欠。疑いという純粋な理性による批判のふるいを徹底的にかけ、かけてかけてかけまくって、それでもそこに残ったものを信じる、というのでなければ、それは盲信であり、盲信ほど恐ろしいものはこの世にはないのである。それは、本作を含む数々の映画で繰り返し提示され続けている。カトリック教会は、どう見てもいろんな意味で危険な組織であり、まさに本作でも言われていたように、一種のカルトとなってしまっている。マルクスが宗教は阿片だ、と喝破したよりももっとひどいひどいことなってしまってる。とは言え、こっからは映画から離れるけど、すべての宗教がことごとく阿片やそれに劣るものだとはまったく思わない。この宇宙で起こるすべての事象を科学で説明・解決できるということは絶対にあり得ないし、科学を突き詰めたときに、エセ科学者でない限り、必ず宗教に行きあたる、というのはよく言われている。アインシュタインもそうだった。そりゃそうだ。だってまず、自分という個体が何のために生まれてきて、どこへ行くのか、死の向こう側に何があるのか、これほど人間にとって避けられない問題はないし、科学で解決できる種の問題でもない。そして、自分ひとりだけの経験と知識だけで簡単に答えが出せる問題でもない。前も書いたが、とある自殺を繰り返す患者に、精神科医のおっさんが、何故あなたはそんなに死にたがるのですか?と問うたとき、患者は、じゃあ何故あなたは生きているのですか?と問い返されて答えることができなかった、という話を読んだことがある。この問いこそ、まさに、哲学のはじまりであり到達点でもあると思う。そこに明確で具体的な道を与えるのが、宗教の役割であるべきだ。宗教は漠然とした神秘的おすがり信仰であってはならない。現実にしっかりと根を張りながらも、全宇宙を見おろし、永遠のなかの「いま」という瞬間を、未来に向かって、生き生きと生きるための、常にフレッシュな教育運動であるべきだと思う。ゆえに、我々には、哲学・教義の正邪を見抜くための知識が、智慧が、必要であり、無機質な知識の詰め込みでない、磨きぬかれた有機的理性と、単なる思いつきでない、鍛えぬかれた直感とが必要であり、そのための幼年期からの勉強だと思うのです。また長くなってモータわ。もうやめます。この映画、面白いっす。オススメです。
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