ハシビロコウ

もののけ姫のハシビロコウのネタバレレビュー・内容・結末

もののけ姫(1997年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

もともと複雑な映画なので、改めて観ると「あ、これってこういう話orシーンだったんだ」と思うことが多くておもしろい。
例えば、ショウジョウ達や猪達がモロ一族に絡んでるシーンでは、自然側の勢力は結構気持ちがバラバラっていうか、縄張り争いとか相互不信で小競り合い起こしてて全然対人間でまとまれてないのがわかる。
その前のシーンでたたら場勢力の一枚岩ぶりをみてるから、余計に「敗けてる軍隊のダメな感じ」があって、「これは負け戦もしょうがねえな」と妙に納得。
それに、初見ではエボシは侵略者の顔が印象的だけど、実は彼女自身、結構切羽詰まっていて、途中から能力が事態についていかなくなっていることがわかる。
たたら場の自治の源泉である石火矢はあくまで借り物であって、シシ神殺しが遅れれば取り上げられるという頼りないもの。エボシとしては要求をのらくらかわしながら自前の石火矢が整うまで時間稼ぎをするつもりだったんだろうけど、結局それはかなわない。
かといって、天朝の権威を理解する気がなかったり、浅野公方の使者を追い返したりと既存の権力との調整能力がなく、事態を悪化させてしまう。
このへんに、小集団のリーダーとしては優秀だけど国を率いる政治力はないというエボシの限界が見えてくる。

この映画をいろんな勢力が入り乱れる群像劇として見てみると、いくつかおもしろい位置づけに気付いた。
まず、シシ神とモロ一族の関係は、ちょっと注意してみると、神様と神主に近い関係と思う。モロ一族以外の自然界勢力はあんまり信仰心の無い信者みたいなもんで、シシ神を畏怖してはいるけどそこまで快くも思っていない。かれらは、力を持った人間がシシ神の庇護下のはずの自分達を脅かし始めたことで、シシ神が絶対の存在ではないと思い始めていて、自分達への禊として武力行使を求めている。
かといって、ご神体は気まぐれなので神主としてはどうしようもなく、まるでワンマン社長と現場の調整に苦労する中間管理職のようでもある。
猪もショウジョウも、権威に自分達なりの意味付けをしてアレコレ思い入れてるという意味では、人間と大して変わらないという感じがした。
ほかには、この映画でたたら場と侍、エボシとモロ一族、人間と猪という色んなレイヤーの一番外側にあるのは、シシ神と天朝という新旧神様の戦争の構図なんだということ。
天朝がなんでシシ神を退治するかと言えば、国土開発のためとかそんなんじゃなく、自分達が新しい権威として国を治めるためには、古い神を殺すすしかないからだろう。
方や不条理な神様、方や意思疎通ができる神様、信者にとってどっちが使い勝手がいい守り甲斐のある神輿かは明らかで、結局、神様も適者生存なんだということが読み取れる。

もう一度見たらまた別の見方ができそうで、何年たってもやっぱり名作。