もののけ姫のネタバレレビュー・内容・結末

「もののけ姫」に投稿されたネタバレ・内容・結末

単純な正義から脱したメッセージ性の強さはジブリの中でも最強。ツボにハマればやられちゃう世界観もいい。
で!も!神話によく感じる無力感からか、ワクワクとかドキドキがイマイチなんだよなぁ。画面に惹きつけられる感じがそんなにないんだよなぁ。あと、吹き替えの方の一部、棒過ぎてヤバい。
ストーリーも映像も満点。
歴史好きな自分にとっては、時代設定などを考えながら観れるので、そこも面白かった。
人間がどれだけ身勝手か思い知らされた。
普通に生きてたらあまり気に留めないけれど人間って動物や自然を犠牲にして生きてるんだなって。
アシタカの「そなたは美しい。」の一言が印象的だった。そしてヤックル可愛い。
ジブリ映画の中で一番好きな作品。
笑えるところも無いし、残酷な描写も多くて、公開当時は怖かった。
けれども子供心に荒々しい情熱を感じて、大人になった今見てもそれは変わらず。
悪役だと思っていたエボシも実は人間味あふれるいいヤツで、理想のリーダー像だったという再発見も。
終わり方もいい。2人は結ばれるわけではない。それぞれに生きる。
制作ドキュメンタリーもDVD化されているので、そちらも一緒に見るのをオススメしたい。
本当にあたしのソウルムービー。魂。魂そのものです。変に順位つけたくないけど、でもジブリの中で一番好きです。普通に順位つけててわろた。初めて見た時の衝撃、感動が忘れられない。シシガミ様の最後の息吹で死んでいた森が生き返るところ。そして同時にシシガミ様は死んでしまったんだなあと。エボシが森の中で村人達に優しい顔で語りかけるところ。あげたらキリがない。。。まだもののけ姫を観ていない人に嫉妬を覚えるくらいです。だってその人はこれから初見の衝撃を味わえるから、、、。わたしはもう何十回も見ているから、細部のところになんて目がいったりして、、。また初見のあの感動を味わいたいものよ。ちなみにわたしのお気に入りのシーンは寝込んでたアシタカが岩から滑り落ちてははっ、すっかり足がなまってしまった。って言うところです。あそこほんと好き。てか曲もほんとよくない????サントラ聴いてるだけでも好き。もう好き。全てが最高です。これからもお世話になります。。。
記録用。動物たちがあまりにも可愛くてそれだけで星5あげたいけどアシタカのクズさで星ダウン。曲好き。DVD欲しい。
皆さんのレビューの中で『アシタカとカヤは性行為をしており、さらにサンにも手を出している』というものがありました。
気になって速攻調べた結果、それについての解説がありました。

長文です。すみません。

おまけに二番煎じですみません。

前編 https://youtu.be/7Npqxf4q0e0

岡田斗司夫氏の考察です。

後編 https://youtu.be/cKrKFg-EcNk

こんな長い動画、見てられないよ!という方のために、まとめた記事を貼っておきます。
後編 まとめ記事 originalnews.nico/146116 エボシ御前とサンの関係や、モロとアシタカの関係など


パソコンからタイプしてるので、うまくサイトに飛ぶのか不安なんですが。

ここからは、前編の記事 本当は子供に見せられない『もののけ姫』からの抜粋となります。

アシタカが村から追い出されることになった後、村の出口で、自分を慕う少女のカヤに呼び止められます。(設定では許嫁)ここでカヤは「いつまでもお慕い申し上げます」と愛の告白をして、黒曜石で出来た小さなナイフをアシタカに渡します。アシタカはそれを受け取ると、メッチャイケメンな顔でニッコリ笑いながら「私もだ。いつまでもカヤを思おう」なんて言います。
 この「これからもずっとあなたのことを思います」というセリフはどういう意味かというと、「この先の生涯、あなたの他に誰とも恋をしません」という意味なんですね。そんなことを、黒曜石の小さなナイフを受け取ったアシタカは、爽やかに笑いながら言うんです。
 でも、男女問わず、このシーンが嫌いというか「アシタカのこういうところが好かん!」と言う人がかなりいるんですよ。
 なぜかというと、アシタカは、女の子にここまで言われて、イケメンな感じで微笑んで、大切な黒曜石の小刀を受け取っておきながら、後でその大事な小刀を、事もなげに別の女の子にプレゼントするからなんですよ。カヤと同じ石田ゆり子(カヤとサンの声優は一人二役で石田ゆり子さん)が声優をしているもんだから、ついつい好きになっちゃったサンに(笑)。これについて「なんじゃこのアニメは!」と、怒るわけですね。

 確かに、怒って当たり前なんですよ。物語のラストで「私も、また時々、お前に会いに来よう」「ええ。来て来て」みたいな感じで、サンとイチャついてる暇があったら、呪いはもう解けたんだから、生まれ故郷の村に戻って、カヤに会ってやれよ、と。
 そんな「アシタカのこういうところが許せない!」という、女性ライターの方の怒りの声が、ジブリの公式本である『ジブリの教科書』にすら書いてあるわけです。まあ、怒る気持ちはよくわかるんですけど。

「カヤとアシタカの別れ」に隠された意味
 実はこの、村の出口でカヤに呼び止められるシーンというのは、そういう意味ではないんですよね。ここでの描写は、全て“象徴”に過ぎないんですよ。
 ここが『もののけ姫』を作る時に宮崎駿が取った「必要なことは全て描くけども、わかるようには描かない」という部分なんですね。
 村の外れに、夜中、女の子がお忍びで会いに来て、そして「自分は生涯、恋をしない」=「貞操の印」というのを男に手渡したわけです。これ、どういう意味かというと、2人は人目をしのんで性行為に及んだっていう意味なんですね。だけど、宮崎さんは、そんな直接的な性描写を描きたくないので、わざわざ「私はいつまでも貞操を守ります」という言葉と、小刀を渡すことによって、それをメタファーとして表現しているんです。
 本当は、ここでカヤとアシタカは、人目をしのんで子づくりしている。だから、カヤの中には、ちゃんとアシタカの血筋が残ることになり、そうやって生まれたカヤとアシタカの子孫たちが、オープニングで映される土面の紋様として“アシタカ王の伝説”を語り伝えていくという話になっているんです。
 でも、宮崎さんって人一倍恥ずかしがり屋だから、こういうことを誰にでもわかるように描かないんですね。

本編内に隠されたもう一つの性描写
 これとは違う、もう1つ性にまつわるエピソードが『もののけ姫』の中に入っているんです。それが、怪我を負い、サンに看病されたアシタカの傷が治って、何日も寝たきりだったところから起きるというシーンです。
 サンの暮らす岩屋の中で、アシタカは寝ているサンを見つめているんですけど。この時のサンは、かなり無防備な寝顔で寝ていて、おまけに脚も見えているんですね。このシーンのコンテを見てピンと来た鈴木敏夫は、「この時点で、2人は関係してますよね?」と聞いたそうなんですよ。
 宮崎駿って、こういうふうに作品について何かを聞かれた時には「いや違う」とか、「そうです」というふうに、絶対に何か答えるんですけど。この件に限っては、宮崎駿は一切答えようとしなかったそうです。そんな話を、鈴木敏夫はすごく嬉しそうにラジオで語っています。
 ちなみに、その後、鈴木敏夫が問い詰めた結果、宮崎さんは「そんなの、わざわざ描かなくてもわかりきってるじゃないですか!」って言ったそうなんですけど(笑)。
人間嫌いのサンがアシタカに心を許した証拠なんでしょうね、無防備に自分の寝姿をさらしたってことは。

『もののけ姫』における宮崎駿の演出技法
 宮崎駿が『もののけ姫』で取った表現技法というのは、こういうものなんですよ。「女が夜中に男に会いに行った」というだけで、アシタカやカヤの部族では「関係があった」とみなされるわけですね。
 おまけに、カヤはそこで「私も連れて行って!」とは言わないし、アシタカが出ていくことに関してもグズグズ言わない。それはなぜかというと既に2人は絆を結んでいて、彼女は子供を貰っているからだという意味なんです。
 アシタカの血筋はこの村に残り、カヤがそれを受け継ぐ。つまり、宮崎駿に言わせれば「このシーンを見ておいて、そんなこともわからないようなヤツは、そもそも俺の映画はわからねえよ!」ということなんですね。

 ……「そんなもん、わかるはずがあるか!」と(笑) 僕も、この映画が公開した時、何度も映画館で見たけどわからなかったですし、その後、VHSで見てもわからなかったし、DVDで見てもわからなかったです。
 今回、この企画用にBlu-rayで見た時に、初めて「ああ、そういうことか」ってわかったんですよ。それも、あらかじめ、鈴木敏夫がラジオで語っていた「サンとアシタカはちゃんと性行為をしている」という話を聞いた上で、このシーンを考えて、やっと気がつくことが出来たんです。
 これが、『もののけ姫』を作る際に宮崎駿が取った「必要なことはちゃんと描く」という、それまでの作品とは違った作り方なんです。つまり「こういう部族で、別れの夜に、男女が会っているということは、もう関係があったということだ」と。そんなふうに「関係があった」という事実はちゃんと描きたい。しかし、それを“表現”することはしたくないという、宮崎駿の描き方なんですね。

カヤと話した後、アシタカが村を出て走っていると、夜が明けます。それと同時に、音楽が盛り上がって行く。背景自体も、メチャクチャ綺麗な夜明けの風景なんですよ。みなさんも、金曜ロードショーで確認してください。物凄く綺麗です。
 というのも、このシーンでは、宮崎駿は、音楽の久石譲と、背景の担当者に、わざわざこんな注文していたんです。「今、アシタカの心の中は、絶望と怒りと悲しみで真っ黒です。そんな彼には最高の朝をあげたいんです」と。

 アシタカは礼儀正しいから「村から出て行け」と言われたら、「はい。わかりました」と言って素直に出て行ったんだけど、心の中は「なんで俺がこんな目に遭うんだ!? 俺は村を助けたじゃないか! 女の子を助けたじゃないか!」という気持ちでいっぱいなんです。やりきれなさで震えるくらい腹立たしくて、哀しくて、ガタガタしているんですよ。
 でも、そんな姿を自分を見送ってくれたカヤには見せたくなかった。心配して欲しくないからこそ、彼女に「カヤ、私もお前を思おう」と言う時には、すごくニッコリ笑ってるんです。
 あれは、必死であの顔を作っているんです。だから、必要以上に明るい顔なんですよ。本来なら、婚約者の女の子との永遠の別れだから、悲しい顔をするはずなんだけど「悲しい顔をしちゃいけない」と思うあまり、悲しそうな顔をするカヤに対してアシタカは、まるで嬉しそうな顔で笑ってしまう。それこそが、このアシタカという青年の持っている哀しみなんです。
 そんなアシタカの心意気に、「僕は何かプレゼントをしたい。彼の旅立ちには“最高の朝”をあげたい。だから、頼む! ここの風景は、物凄く綺麗なものを描いてくれ! 久石さん、ここの音楽はすごい曲を描いてください!」と。

 なぜかというと、僕らのアシタカというのは、そういう男なんです! いい男でしょう? そんな、自分の心の中が真っ黒であっても頑張っている男の子には、世の中には、絶望の只中にいたとしても、美しいものがあるということを見せてあげたいじゃないですか!
 ……と、宮崎駿が言った結果、生まれたのが、このアシタカの旅立ちシーンなんですね。もう、あまりのカッコよさ! 宮崎さんの心意気と、またそれに応える音楽と背景のスタッフ!

「簡単にわかるように描かなかった」ことによって生まれた誤解
 でも、こういった熱さとか内情が観客にはあんまり伝わっていないんですよね。アシタカが「うん。ありがとう、俺もお前のことをずっと思ってるよー」って、ニコニコ笑いながら、パカパカと馬みたいなシカ(ヤックル)みたいなやつに乗ってるように見えちゃうんですよ。
 ここで流れる曲というのは、久石譲が渾身の力を込めて書いた、その名も『アシタカせっ記(アシタカの伝説)』(これは誤り。正確には『旅立ちー西へ』)という名前の曲なんです。そんな壮大な曲が掛かって、綺麗な風景がザーッと続くものだから、何も知らずに見ると、なんとなく「アシタカが楽しそうに旅を始めた」ように見えちゃうんですよね。
 本当は「彼の内面にはどす黒い絶望があるんだけど、そんな中でも、この世界は美しいんだ」と伝えたかった宮崎さんのメッセージが、お姉さま、お兄さまの指摘しているような「お前、なんだかんだいって、楽しそうじゃねえか!」って見えちゃう。

 ここら辺の原因はやっぱり、本来は『アシタカせっ記』だった映画のタイトルを『もののけ姫』にしちゃったからなんですよ。『もののけ姫』という、一見すると恋愛がテーマになっているようなタイトルにしたから、「この村の地味な女の子の次には、もっといい女が待っているぞー! 音楽もついつい盛り上がっちゃうよー!」っていうふうに見えちゃうんですよね。だから、本当に罪作りなタイトルだと思います。
 あとは、今、コメントにあった通り、宮崎さんが観客を信じ過ぎたところもあるのかもしれません。
 でも、本来、こういった変なことがあったら、映画は外れるものなんですけど、『もののけ姫』はすごく当たって、多くの人が何度も劇場に見に行った。ということは、やっぱりみんな、見ている中で矛盾を感じているからなんですね。そういった矛盾を確かめようとして、リピートしたことによって、この映画の動員は上がっていったという部分もあると思います。
 なので、みなさんもとりあえず「アシタカは気軽に女の子の心を弄んで、大事な小刀を次に好きになった女子にあげちゃう最低男ではない」ということだけは、理解してやってください。(ニコニコニュースより抜粋、加筆訂正あり)

岡田さんが言ってたのは、アシタカが故郷に帰る可能性はないとは言えず、
もっと言えばサンを連れて帰って一夫多妻生活になるかもしれない、ということ。

あのシーンは、カヤのプロポーズであり、この村を滅ぼさないためにも、最後にアシタカとの子供を手元に残したいという、彼女なりの決死の意思表示だったのでは?
というか、生まれてくる子供の無事を願うという、二重に別れを惜しむ関係?

アシタカはエミシの王族ですから、子作りが半ば義務化していますし、死んだことにされていましたが、もし帰ってきたら英雄として迎えられるのかも。

僕たち観客が、現代的な倫理観で見てるから分からないのかもしれない。
古代日本が舞台だから、一夫多妻なんて当たり前なはずなのに。

とにかく、そういう深い解釈ができるのがジブリの魅力だし、見るたびに新しい発見ができる気がします。
実を言うと、僕も『アシタカの色男!女たらし!』派だったのですが、
この考察で一つ成長したような(笑)

驚くべきことに、これは宮崎監督もインタビューで半ば認めているらしいので、ほぼ公式化しているみたいです(笑)

僕のジブリ作品兼宮崎駿 理解度メーターのレベルが『門前払い』から『アクション映画でも見てろ』に上昇。

今回分かったのが、宮崎監督がシャイなので、性描写とはいえ、こういう重要な設定を作品の中で描写したがらないこと。

しかも、この物語自体が、アシタカとカヤの子孫によって語り継がれる『アシタカの伝説』といういわば回想になっていること。というか伝承?

もののけ姫見たくなってきたw
昨日見直したばっかなのに(笑)

※あくまで一つの考察ですのでその点はご了承ください。

町山智浩氏や、切通理作氏の解説も興味深いので、この作品についての見識を広げてみてはいかがでしょうか?(このお二方は岡田斗司夫氏とは180度違う考察)

いろいろな見方があるからこそ映画は面白いのだと、僕は思います。
どんどん話が進んでいく。無駄がない。
ヤックルや山犬が走ってる動作がすごくなめらか。ナウシカ観たあとだと映像の進化がスゴイ。

いままで観てた時は猪の突進と美輪明宏さんに圧倒されて凄いなぁと思って観てたけど、あらためて観てみると後半はよくわからん。なんでエボシはジコ坊と共闘してるんだ?たたら場の男たちがいっぱい死んでるのに、気にもせず唐傘連と行動を共にしてるのはなぜ?あれでなんでみんなから慕われてるの?んでもって唐傘連って何者?
後半は怒涛の展開なので見入ってしまうけど、結局なんでそうなってなにが決着したのかよく分からなかった。
人と森との戦いの話。
森の風景が圧倒的に美しい。音楽も完璧。
森と人と、曇りなき眼で見届けたアシタカからどう見えたかを映画全体を通じて共感させられる。

昔観てからもう一度観直したけど、こんなにいい映画だったとは。
人生でも何本も出会えない良作。

最初アシタカが村を去るシーンですでにホロリ泣きしたけど、後からネットで公開初期の映画レビュー見たら「なんでアシタカはカヤににっこり笑顔でさよならしてるの!そんなに旅が嬉しいの!許せない!」みたいな投稿あって当時の人マジかよ…と思ってしまった
2019/1/24 再鑑賞

ちっちゃい頃、雨の日はいつも家でもののけ姫を見て過ごしていたらしい。
そんな話を聞いていたから改めてまじまじと見る機会はほとんどなかったんだけれど…


ラスト響いた言葉たちをメモ

「タタラ場を守るんだ!エボシ様と約束したんだ!」

「生きてりゃなんとかなる!」

「ヒトの手で返したい」

「はえ〜、シシ神は花咲かじじいだったんだ」

「それでもいい。サンは森で、わたしはタタラ場で暮らそう。共に生きよう。会いにいくよ。ヤックルに乗って」

「みんな初めからやり直しだ。ここを良い村にしよう」

「バカには勝てん」

そして最高のBGM「アシタカとサン」
アシタカは八方美人、だけど最高。
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