Maririn

ベンジャミン・バトン 数奇な人生のMaririnのネタバレレビュー・内容・結末

4.4

このレビューはネタバレを含みます

◎感想
この映画の好きなところは、pain(苦しみ)とjoy(喜び)という、物事の二つの側面がバランスよく描かれているところだ。人生は苦しみだけでもなく、喜びだけでもない。そのどちらもあって当然で、それは命という限られた時間だからこそ感じられることである。一見喜ばしい出来事も、人生という長い目で見れば苦しく感じられることもあり、逆に、その時苦しかった出来事も、振り返れば喜びに変わることもある。それが人生なのだと感じた。「今夜が全てではない」というベンジャミンの一言が刺さった。長い目で見たら、とはよく言うけれど、長い目で見れるほど、君とはまた会えるよ、会うつもりだよ、君を愛しているよ、ということでもあるのかと思った。
また、後になってみなければ、あの日の決断が、painになるのかjoyになるのかはその時には分からないものだなと思った。

◎気付きメモ
1.水から生まれ、土に還る
赤子も老人も自分でお風呂に入れないし、1人で歩けないし、トイレにも行けないからオムツをする。
赤子と老人の大きな違いは、人間は、水から生まれ、土に還るということだ。泣きながら生まれ、静かに死んでゆく。
出てくる場所と帰る場所の性質が異なる。
作中には海で死ぬ人々や、台風の迫る病院など、水がよく出てきた。命の源である生命としての水との対比が描かれているように感じた。特に、台風の迫る、騒々しい病院で静かに息を引き取る姿に、生と死の対称性を見た気がする。
ガトーが作った逆さまに沈む時計が、最後水に沈んでゆくのもまた、ベンジャミンが赤子へ戻っていく彼の数奇な人生を表している。

2.ピアノの音のあたたかさ
作中で、ピアノが果たしている役割がある。
それはあたたかい記憶が、悲しい記憶と重なり、愛おしさに変わるということだ。
ベンジャミンに、ピアノと大切な人を失うことを教えてくれた老婆がいたが、その老婆からベンジャミンが幼少期に教わった思い出のピアノは、大人になって娘に教えたかった愛のピアノになり、最後には老人になって認知症を煩いながら引く孤独なピアノになった。
ピアノとともにあるあたたかい記憶が、失った大切な人を思い出すときに、悲しみだけで包み込まれないように、助けてくれる。
あたたかい記憶が、大切な人が亡くなった時の悲しさを越えて、愛しさに代わってやってくる。そんな音はきっと、彼の孤独をも優しく包み込むのだろうと思った。

3.魂のモチーフとしてのハチドリ
ハチドリは止まると死んでしまう、という意味で、生のモチーフである。
また、船長が死ぬ時、デイジーが死ぬ時、それぞれにハチドリが現れたことから、死のモチーフでもあると言える。
そして、羽が八の字に動くことから無限という意味も込められていると作中で語られている。
生だけでは、有限であるが、有限である生は、死という一つの永遠とひと続きになっている。
限りのある命としてではなく、死後の行方までを含んでいる命という意味で、ハチドリは、魂のモチーフであると考える。


◎掘り下げたいことメモ
・太平洋戦争下のアメリカ
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