Maririn

カラーパープルのMaririnのネタバレレビュー・内容・結末

カラーパープル(2023年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

信じられないくらいよかったと、ここに書き留めておきたい。
まずミュージカル映画としても見応えがあるけれど、きっと原作も素晴らしいいんだろうと思った。学生の時に、原作の抜粋部だけを読んで、ずっと気になっていた作品。映画がとても入りやすくしてくれたので、この機会に原作も読みたい。

重いシーンもあるが、ミュージカル映画ということもあり、重い気持ちを変に引きずらずに観れた。シリアスな場面はシリアスに、エンパワーな部分で歌うという単純な構成ではあったけれど、歌もよかったし、ダンスシーンの演出もよかった。同じ動きが別のシーンで入ってて、後半でその動きが出てきた時に序盤のセリーを思い出すきっかけになっていてよかった。個人的には序盤のダンスシーンの迫力に心を惹かれたから、もっとダンスを見たかったけど、原作や前作にリスペクトを持って再現してるんだろうなと思うシーンも多くそれもよかった。

1.シュグ=自由
出てくる女性たちのエンパワメントぶりがすごいが、シュグの存在は圧倒的。男女問わず人を惹きつけるのは、シュグが自信に満ち溢れているからだと思った。シュグが街に帰ってくるシーンは、自由の到来の示唆であるように感じた。シュグはストーリーを通してずっと自信に満ち溢れていて、特にバーで赤いドレスを身に纏って歌い踊るシュグは最高にかっこよくて、印象に残っている。あなたの中のシュグを探してという言葉で、きっと私たちのなかにもそれぞれのシュグがいると思えるのは、自分を愛する女性の象徴としてシュグが描かれているからだと思う。

2.ソフィア=男性性
気の強い女性として描かれているソフィアは、女性の中の男性性を見ている感じ。ハーポに殴られてすぐ別れるところが最高にクールだった。そんなソフィアでさえも白人には敵わずで、獄中でソフィアが弱っていく姿はとても痛々しかった。黒人男性よりも強くある黒人女性ですら白人には敵わない、黒人男性が黒人女性を救えないという構図もサラッと描かれていたけれど、原作ではどれくらいまで描かれているのか気になった。

3.抑圧された黒人男性
作品に出てくる黒人男性に共通するのは、抑圧である。ミスターも、ミスターの父親も、ハーポも、セリーの育ての父親も、皆、女性を支配すること、従わせること(control)を望んでいる。この背景には、黒人差別による社会的な抑圧があるはずだが、作中ではそれらしい描写がない。社会的な黒人男性というより、あくまでも黒人女性から見た黒人男性が描かれている。

4.銃のモチーフ(恐怖、自由の剥奪)
ネティが追い出されるシーンでミスターが猟銃をぶっ放すシーンがある。この銃は、シュグがネティからセリーに送られていた手紙のありかを見つけた時に、手紙をしまってあった箱の上にも乗せられていた。銃は、セリーから自由や愛を奪う恐怖としてのモチーフであり、シュグによって、その恐怖が薄れていくことを表している。

5.赤のモチーフ(自由、自立、復活)
作品タイトルはカラーパープルであるが、作中では赤の衣装が印象的に使われている。まずは、Push Da Buttonを歌う時のシュグの衣装。自由・自立の赤である。パンツ屋になったセリーが着てる衣装も赤である。バーで歌うシュグの衣装とイメージが重なるのは、これもセリーが自由を手に入れ、自立した女性になったからではないだろうか。
作中で血を流すシーンはないけれど、文化的背景と、神という宗教的視点から見ると、赤には血のイメージもあり、そこには復活の意味が含まれていると思った。神の血によって、黒く汚れた心も白くなり、輝く天の国に行けるとするならば、作中の赤は、復活もしくは許しの赤である。

6.What about love?(白と黒)
セリーとシュグが2人で映画を見に行くシーンがある。モノクロ映画から、セリー(黒)とシュガ(白)という対称性に繋いでいるのが見事だった。2人で映画を見て、キスをして、朝共にベッドで目覚める。男女に置き換えてみれば分かりやすい恋愛のパターンである。となると、ここに同性愛のイメージがあるというわけだが、白と黒を用いることで、同性愛のニュアンスだけでなく、自己愛(セルフラブ)のイメージも含まれていると思う。私の関係性って?これは何に対する愛なの?という問いがあるわけだが、対称的な2人が、白と黒の衣装を身に纏い、交差しながら、愛を問う演出には、恋愛的な愛以上の関係性が描かれていると思った。

7.パンツのモチーフ
裁縫が得意なセリーはカーテンを作ったり、カーディガンを作ったり、ワンピースを作ったり、ウェディングドレスを作っていた。これらは全て女性らしさというか、家父長制における女の役割としての裁縫のイメージが強い。ところが、自由を手にすることを選んだセリーはパンツやとして開業する。時代背景的にパンツ=男性の履くものだと思うのだが、そのパンツを黒人女性であるセリーが、女性のために作るというところに意味がある。抑圧されてきた黒人女性の自立、成功というイメージが見受けられる。

7.愛
セリーを軸に様々な愛が描かれている。
ネティとの姉妹愛。ソフィアとの友愛。シュグとの恋愛。離れ離れになった子供たちとの親子愛。姉妹愛がメインの作品かと思っていたけれど、姉妹愛を軸に広がってゆく複数の愛の関係性を見ることができる。心で受け取る、心を受け取ると書いて愛。遠く離れていても、思い浮かべれば、相手の心を感じることができる。そうして心を心で受け取ることが愛なのだと、言われている気がした。

8.カラーパープル(自分を愛すること)
紫色の花を見るシーンは作品タイトルを語る上で欠かせない。言い回し的に原作に忠実そうだなと感じたし、このカットは通しですごく好きなシーンである。改めてここは原作で読みたい。目に映るものすべてが創造物で、それそのものが創造をしている。創造を続けている。そこに神の御業を感じる。神はそこらじゅうにいて、私たちの中にもいる。神は誰よりも、何よりも愛を欲する。だからすべてものに創造としての神を見いだし、その神を愛すること。そうすることで、世界の美しさ、ひいては自分の美しさに気づくというわけだ。このシーンは、セリーがパンツ屋を営み始めて、1人で歌う"I'm here"の歌詞"yes I'm beautiful and I'm here"へと繋がっていくのだと思う。このときセリーは、自分の周りにある与えられた些細なすべてのものに感謝する。自分の美しさに気づくセリーを私は涙なしでは観れない。あの時のカラーパープルがここで花を咲かせる。

9.赦し
「神はなぜ私の大切なものを奪うの?」というセリーの問いに、「それは神じゃなくて人間のすることよ」ってシュグが答えるの、なるほどなって思った。「神は与える。奪うのは人」という構図が隠れている。はっきり書かれていないけど、セリーはいろいろなものを赦しながら生きるようになる。自分を無下に扱ってきた父親や、暴力を振るい、妹との繋がりを切ってきたミスターといった男たち。展開が早いから何で赦せるの?って思うかもしれないけれど、赦すことが幸せへの一歩なんだよなとも思う。シュグが自分の神父である自分の父親の言葉を聞いて、「赦す、、、」ってなるのもキーになってくる。赦すことで、創造的になれる。自分を愛し、生きることができると言われている気がした。

出てくる服が全部可愛かったな。字幕も良かった。また観よう。
Maririn

Maririn